1993年3月の帰国が筆者の行商人としての最初の帰国となった。それから2011年まで69回の帰国を続けた行商の中で感じたことや印象に残っていることをこれから綴って行きたい。

1993年以前に2度帰国したと思うのであるが、その資料がないので確実には言えない。その時は単に客先訪問であって、行商ではなかった。

クレムリン宮殿に納品のソファー

行商最初の頃、埼玉岩槻のCAS店を訪問した時にスペインを当時代表していた高級ソファーの注文を貰った。この高級ソファーというのは本当に高級ソファーで、前面が化粧板で象嵌も入ったモデルなどを生産していた。このメーカーのソファーはクレムリン宮殿にも納品した実績のある。プーチン大統領とスペインのフェリペ王子(現フェリペ6世国王)がこのソファーセットに座って会談している写真がこれだ。

スペインで最も優秀な営業マンの条件
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

残念なことにこのソファーメーカーの創業者サンス社長には後継者がおらず80歳を過ぎても勤務していたが、最終的に8-9年前に廃業した。

また営業部長を務めていたフェリックス氏は筆者がスペインで知っている営業マンの中で最も優秀だったと感じている。彼は筆者より2歳年上だったが2年前に自宅の椅子に座っていた時に心臓発作で亡くなった。彼は国内営業は勿論ロシアなど東欧圏での販売を担当していた。外国語は喋らない。ロシアや東欧の客先を訪問する時は現地に通訳がいた。

彼が亡くなって葬儀の時にロシアの数店の顧客から「ロシアのアミーゴから」と記された花束が届いた。それだけ顧客から信頼を寄せられていた彼だった。彼は販売する商品に自信を持っていたことと、お客の為に良く尽したというのが彼の営業の特徴であった。その意味で、外国語が喋れなくてもお客は彼の商売熱心な姿勢を肌で分かってくれていたようだ。説明の足りない分は通訳が訳してくれればよいという感じで営業していた。

このメーカーのソファーは弊社の輸出商品の柱のひとつだった。

恩師、浅井先生とオルディニャガ氏

浅井先生との縁は先生が大学の授業を1年休校されてマドリードでご夫妻で生活されていた時にそこで日本レストランを経営していた友人から紹介されたのが縁だ。それ以来、先生ご夫妻は5-6度バレンシアをご訪問された。

帰国された後も筆者はいろいろとお世話になり、あたかも先生の生徒であるかのような厚遇を受けた。筆者の帰国の際には都合の許す限りお会いしていた。また、先生はマーケティングが専門で、その方面でも色々と教えて戴き、85歳で他界されるまでお付き合い戴いた。筆者にとっては恩師のひとりである。

マーケテイングと言えば、スペインで玩具メーカーバルトイ社の社長からその後マーケティングのコンサルタントになり筆者のビジネスのスタートの礎に協力してくれたオルディニャガ氏がいる。ということで筆者はこの二人の恩師に恵まれた。