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眼前に次々と現れる建築物に目を奪われます
羽幌炭礦跡にもいくつかの遺構が

1941年に開通し、1970年に炭鉱の閉山と共に廃線となった羽幌炭礦鉄道。
日本海沿岸の街・羽幌の北に位置する築別から築別炭礦、羽幌炭礦までを結んだこの路線。
駅舎の跡や路盤の跡などはもうほとんど跡形もなくなっていますが、かつて炭鉱の町が存在していたという面影はまだ残されていました。

これは二つの炭鉱に向かう分岐点であった曙駅の近くにある曙神社。
今は住む人も少なくなった集落を丘の上から見守っています。

今も残る以降の数々 羽幌炭礦鉄道沿線
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

炭鉱町として賑やかだった時代の航空写真から比べると、今は民家がほとんどなくなってしまった山奥の道、やがて初山別へ向かう分かれ道の標識が出てきます。
その十字路の右手にあるのが、閉山の翌年の1971年に廃校となった羽幌町立太陽小学校。
立ち入り禁止となっているので、標識の写真をば。

今も残る以降の数々 羽幌炭礦鉄道沿線
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

円形ドーム型のユニークな体育館は、1979年に宿泊もできる町の施設として再生されましたが、2000年に閉鎖となり、2018年の3月までに、雪の重みで屋根が崩落したそうです。
その後は看板にもある様に、更に老朽化が進んでいる様です。

眼前に次々と現れる建築物に目を奪われます

小学校跡から少し進むと、今度は左手に貯炭場の建造物が現れます。
いや~、この荘厳な佇まいには圧倒されてしまいます。
壁面には「羽幌鉱業」と書かれた看板がまだ残っていました。

今も残る以降の数々 羽幌炭礦鉄道沿線
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

こちらは築別炭礦会館付近にあった火力発電所の煙突なのだそうです。

今も残る以降の数々 羽幌炭礦鉄道沿線
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

そしてこちらは羽幌炭礦鉄道病院跡。倒壊が進んでしまっていますね。

今も残る以降の数々 羽幌炭礦鉄道沿線
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

鬱蒼とした木々の陰に見えるのはアパートの一部。

今も残る以降の数々 羽幌炭礦鉄道沿線
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

近くの川には、コンクリート製の橋脚が残されていました。

今も残る以降の数々 羽幌炭礦鉄道沿線
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

羽幌炭礦跡にもいくつかの遺構が

羽幌炭礦鉄道は、曙駅から二手に分かれ、一方は築別炭鉱、こう一方は三毛別に向かっていました。
三毛別にあったのが羽幌本坑です。
そちらに向かうとまず現れたのが、1975年にわずか11年の歴史を閉じた北辰中学校。
閉山時には272名の生徒が在籍していたといいますから、当時の街の賑やかさが想像できます。

今も残る以降の数々 羽幌炭礦鉄道沿線
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

羽幌炭礦の貯炭場です。
こちらも築別のと同様、神々しさを感じてしまいます。

今も残る以降の数々 羽幌炭礦鉄道沿線
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

こちらは立坑の跡です。
周囲には草木が生い茂り、人工物は朽ち果てつつありますが、かつてここが炭鉱の町として賑わった息吹を、微かに感じる事は出来ます。

今も残る以降の数々 羽幌炭礦鉄道沿線
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)