<TOP画像:やきもの散歩道 土管の埋め込まれた坂道>

赤茶の急須の街、常滑(とこなめ)は伊勢湾に面する知多半島にある焼き物の町です。

常滑焼は、瀬戸・信楽・越前・丹波・備前とともに日本遺産に認定された「日本六古窯」の一つに数えられています。見どころは、中心部の小高い丘にある少し懐かしい昭和の面影がある「やきもの散歩道」。レンガ造りの煙突、土管や陶器の瓶が埋め込まれた坂道、窯場や登窯など、狭くて曲りくねった小径がある散策がとても楽しい街です。常滑焼の歴史を感じながら、陶芸体験を楽しんだり、招き猫や器の店をのぞいたり、散策の途中で古民家を改修したカフェなどでまったりとした時間を過ごせるところです。

中部国際空港セントレアから近い常滑、少し時間があったら寄り道をしてみてください。

目次
常滑焼の歴史
常滑の急須

常滑焼の歴史

【愛知】焼き物の町、常滑で少しレトロで懐かしい街で散策を楽しもう
(画像=<常滑の登窯の煙突>、『たびこふれ』より 引用)

常滑焼は六古窯の中で最古の歴史をもち、最大規模の産地です。常滑の名前の由来はその土壌で、粘土質の地盤(常=床、地盤)が滑(なめ)らかであるという意味だそうです。その良質な粘土を使い、平安時代末期から山茶碗や甕が焼かれ、多くの穴窯が築かれました。そして伊勢湾に位置する常滑は、海路を使ってその壺や甕を日本各地に運ぶことができたため、発展していきました。

平安から鎌倉時代に作られた常滑焼を「古常滑」と呼び、貴族や武士などによって使われていた壺や仏器用の水瓶 、経塚壺 (経典を納めるための容器) などが発見されています。江戸時代後期には連房式登窯が作られ、土管や甕、そして現代の急須の基礎となる「朱泥急須」などが生産されるようになりました。明治時代になると西欧技術が導入され機械化が進み、煉瓦、タイルなどの建材や、衛生陶器などが生産されるようになります。

急須としてだけでなく、常滑焼きは建材などでも広く使われています。関東大震災の際、崩壊を免れた帝国ホテル旧本館には常滑で焼かれた煉瓦が使用されていました。また改築された東京駅舎の赤煉瓦も常滑焼だそうです。

常滑の急須

【愛知】焼き物の町、常滑で少しレトロで懐かしい街で散策を楽しもう
(画像=<常滑朱泥急須>、『たびこふれ』より 引用)

急須といえば、常滑焼。日本一のシェアを誇るだけでなく、平成10年に常滑焼の「朱泥急須」は、重要無形文化財の指定を受けています。その技巧を極めた三代目山田常山はで愛知県初の人間国宝に認定されています。

常滑焼の特徴としてあげられる赤茶色は、常滑の粘土に含まれる鉄分(酸化鉄)が赤く発色することを利用して作ったためです。そして、作り手が回しながら成形する「よりこ造り」という方法を使い、釉薬を使わず焼締めすることでこの赤茶の色を生かしています。

そしてこの酸化鉄とお茶の成分であるタニンが反応して、お茶の渋みや苦味がちょうどよくなるため、まろやかな美味しいお茶を入れることができます。また釉薬を使わないため、お茶に含まれる余分な成分を吸着がすることとなり、よりまろやかになお茶が入るとのことです。

ただ、最近では釉をかけることにより、朱以外にも黄土・黒・茶・緑など、さまざまな可愛い色の急須が楽しめるようになっています。