それまでメガネのブランド名(例えばレイバンでありペルソールなど)は紹介されることはあっても、デザイナー名を前面にしたメガネブランドは『アランミクリ』が初めてではなかったでしょうか。
もちろん、ディオールやサンローランなどの服飾ブランドがサングラスなどを発表することはありましたが、メガネ専門の個人名を冠したブランドという経験は、それまでなかったと記憶しています。
ですから雑誌で『アランミクリ』という言葉の響きにさえエレガンスを感じるブランドを初めて見たとき、名前負けしていない、これまでのメガネとは次元の違う『アランミクリ』という存在に感服するしかありませんでした。
日本に紹介された時点でエルトンジョンや、ヨーロッパの政治家など著名人に愛用されているというお墨付きでしたから余計に注目度は高くなっていたのだと思います。
アランミクリのメガネは先進的なデザインや色使いが注目されがちですが、それは結果として結びついたに過ぎません。根底にあるのはタイトルでも掲げた「見るための、そして見られるためのメガネ」という事のようです。ミクリの歩んできた道を辿ることで理解が深まります。
今回はアランミクリの歴史からおすすめのメガネをご紹介します。
アランミクリの歴史
・アランミクリの起源
創立者のアラン・ミクリは1955年フランスのローヌ地方で生まれました。オーケストラの指揮者である父親と洋服の仕立屋である母親と共に、リヨン近郊のサント・コロンブで幼少期を過ごしました。
その後、パリのフレネルメガネ学院を卒業、その学校を選んだのも、家の近くだったからという説がありますが、真相は定かでありません。
フレネル眼鏡学院はスキルを学んだ場所であり、彼の言葉によると「ほぼ盲目の人向けの人工装具」のような眼鏡をかける他の学生に出会った場所と、シニカルな表現を残しています。
卒業後、眼鏡店で1年勤務しますが、「アイウェアの新時代を切り開く」という使命を掲げ、アランは23歳で自分の会社を立ち上げました。それまで視力を矯正するための、医療器具でしかなかったメガネの概念を変えたいという思いが強くありました。
・アランミクリが生み出したコンセプト
彼が打ち出したコンセプトは、「見るための、そして見られるためのメガネ」でした。機能性の高さに加え、ファッションとして楽しめる高いデザイン性、独特なカラーリングは瞬く間に注目を集めることになりました。
メガネをかける人がより魅力的に映る、アクセサリーのひとつとしてのメガネを生み出したアランミクリは、次第に世界から注目を集めるようになりました。メガネは視力矯正の器具だけなく、「アイウェアデザイン」というコンセプトが誕生したのです。
注目を集めるデザイン
1978年に社員4名で、自分の会社Mikli Diffusion(ミクリディフュージョン)を設立すると、カール・ラガーフェルド、ジャンポール・ゴルチエ、クロードモンタナ、ダナ・キャランなど、世界的に有名なファッションデザイナーたちにショー用のアイウェアをデザイン提供するなど、積極的な活躍を繰り広げます。
この活躍が評価され自身の名を冠したブランドalain mikli(アランミクリ)を創業します。1987年のパリ・マレ地区で自社ショップのオープンを皮切りに、1988年にはニューヨーク、そして1989年には東京にショップと次々オープンしていきます。
Ray-Ban(レイバン)や映画、ファッションブランドとのコラボレーションも多数実現し、1998年には「アランミクリ ヴェットマン」を発表して衣服の分野に進出するなど活躍の場を広げていきます。2000年には、メガネにCCDカメラを装着し、目線から画像を撮影する「ミクリビジョン」、2004年にはチタン製のalain mikli TITANE(アランミクリ チタン)、2005年にはalain mikli PACT(アランミクリパクト)を発表しています。