
海に呼ばれた気がする。そのような場所がこれまでの旅先でなかっただろうか?
東京に住み始めて1年半。日帰り圏内の伊豆半島を潜り続け、時に1泊2日で西伊豆や東伊豆のダイビングポイントを周ったがなかなか辿り着けていなかった南伊豆。
ハンマーヘッドシャークが出たとか、ジンベエザメが出たとか、ザトウクジラが出たとかSNSで話題にあがるたびに行きたくなる遠い地は、美しい海と自然豊かな陸地が広がる場所であり、大型の海洋生物が集まる大陸の最果ての地、南アフリカのケープタウンを彷彿とさせる。さしずめ、伊豆半島最南端の石廊崎(いろうざき)は、はるか昔の大航海時代にインドを目指したヨーロッパの船団が観た喜望峰あたりとでも言える。さすがにそれはちょっと言いすぎか。
筆者である私自身にとっては、そんな壮大な旅路を思い描くほどに遠く感じた南伊豆に、東京在住2年目にしてついに足を踏み入れた。まずは世界中からサメ好きのダイバーが訪れる神子元島を潜ってみよう。
激流の中で100匹ほどのハンマーヘッドシャークに遭遇

17:00ぴったりに仕事を終え、東京に到着したダイビング仲間を車で迎えて東京都心を出発し、距離にして約200km。車で4時間の旅路は意外にもあっという間だった。沖縄本島から来たバディは飛行機・電車・車を乗り継いで約8時間なので、オーストラリアかハワイにでも来た感覚だろう。10月下旬で富士山もすっかり冠雪し、冬が近づくのを感じる季節だ。
今回の旅のきっかけは香港出身のダイバーがFacebookメッセンジャーで「ミコモトニイキタイデス」と連絡をくれたことだった。
透視度の高い季節にハンマーヘッドシャークの群れか。悪くない。南伊豆のアグレッシブなダイビングをアジアからの外国人旅行客的目線でも観てもらいたく、空路を経てはるばる東京までお越しいただいた。
彼とは8年前にワーキングホリデーで日本に来ていた頃からの付き合いだ。出会った当初は沖縄のとあるレストランのアルバイトだったが、翌年に香港へ戻りダイビングインストラクターとなってからも沖縄で働くことを選び、香港や台湾から日本へ訪れるダイバーを相手にガイドをしていた。同じショップやボートで働いていたこともあり、筆者が主催した沖縄周辺離島へのダイビングツアーに自身の経験のために参加するほど勤勉な男だ。
東京では朝夜をパーカーやフリースを羽織って過ごしていたが、伊豆半島を縦断し南伊豆町に到着した頃にはすっかり気候が変わっていた。こちらの夜はまだまだ長袖シャツで十分だ。宿の温泉で体が暖まった後は半袖、短パン、サンダルで過ごせるほどの南国を感じる気候に、一気にダイビングムードが高まる。
なるほど、この地に移住する人の気持ちが少しわかった気がする。
翌日は早速ボートダイビングへ。前日は強風でクローズしていたのだがなんとか南伊豆を代表するダイビングポイントの神子元島へ向けて出港。10月は月の半分くらいしかたどり着けないようだ。ハンマーヘッドシャークの群れが見られるベストシーズンからは少し外れていたが、激流の中、なんとか水深35〜40mの深い場所に100匹ほどの大群を見ることができた。

私は沖縄在住の頃に、中上級者向けダイビングポイントで激流のドリフトダイビングを何度も経験している。カレントフックがビンビンに張るほど強い流れにあったこともあれば、インド洋の赤道に近い外洋で掴んだ岩が次々とへし折れるほどの流れに遭遇したこともある。流れが強すぎてダイブ中に中止になったこともあり、下方向に流されるダウンカレントで水深15mから35mまで一瞬で運ばれたことも。
神子元島のダイビングも似たようなもので、経験の範囲内だろうと高を括っていたところは正直あった。水中での流れは一定方向で、向きさえ間違えなければ楽に移動する手段にもなる。しかし、太平洋に向けて灯台がそびえたつこの小さな島の周辺は想像以上。おぞましいほどの流れだった…。
事前にブリーフィングでダウンカレントの対処法を話していたので、ベテランダイバーといえど自分も気をつけようと身構えていたが、水中で遭遇した流れはダウンどころじゃない。渦だ。これにはスパイラルカレントと名付けたい。ボルテックスカレントでもいい。
そんな場所で、長さ50cmほどのアームがついたストロボが左右に2つと、フィッシュアイレンズの付いたGoProを上部に備えたタラバガニのような大型サイズの一眼レフを持っている。片手がふさがっているのでいつもの3倍は疲れた気がするし、酸欠からかダイビング後に軽く頭痛もした。
一緒に潜ったバディも「コンナニオヨイダノヒサシブリデス。アタマイタイシ足ツリマス」と息を切らしていた。さぞかし満足のいく1本だっただろう。
「カメラを持ったら経験本数は半分」というが、私の場合は半分にしても3000本だ。それでもたった30分で残圧は60になるほど呼吸を乱された。納得いく写真が撮れなかったら翌日も再チャレンジしようと計画していたが、2日連続は無理だな…と浮上を開始しながらすでに諦めていた。この海を毎日案内するダイビングガイドさんには心の底から尊敬する。
疲れ果てた安全停止中に南伊豆の海からサプライズ!
久々のドリフトダイビングがハードワークで、私とバディは身も心も満身創痍だった。だが、この地を長年案内する腕のいいガイドは、ハンマーヘッドシャークを見終わってからも油断していなかった。
外洋でのダイビングは、時に浅い場所でもマンタやジンベエザメが出現することがあるので油断はできない。水深5mの深度を保ち3分間のカウントダウンを待ちながら辺りを見渡しているガイドが、力強く我々の後ろを指差した。10mほど先に大きなヒレの何かがいる。エイ…?いや…
マンボウだ!

すでにカメラはカバーをつけて、発泡スチロールにつめられたカニのようにやる気がない状態に折りたたまれている。目の前を優雅に泳ぐ、死ぬまでに見たい海の生物トップ5に入る姿を見開いた目に焼き付けながら、証拠を撮るために狙いも定めずGoProの電源をON。投げ捨てるようにカメラのカバーを外し、自分がマンボウに近づくのではなく最大限にズームをして写真を撮る。あせって近づくとストレスを与えてしまい一目散に逃げられる可能性もある。逃げられる程度ならまだいいが、マンボウはナイーブなのでストレスがかかるとショックで死ぬといわれるほどだ。バディも不用意に近づかず、ゆっくりと動画を撮影していた。
大物や群れとの遭遇では、生物との距離感やチームワークも重要だ。我々の前に突然現れたマンボウは、ゆっくりと方向転換し、静かに水深50m以上はある海の深淵へと消えていった。
マンボウの興奮冷めやらぬまま2ダイブを終えて宿へ戻り、夕食は下田市まで移動し食事を取った。店主のすすめで鯵のたたきとなめろうをいただく。サザエの壺焼き、ワカメのサラダ、そして下田美人という名の地酒。やはり旅先での食事は地産地消が1番だ。

腹も膨れ、店主にうまかったよ。ご馳走さん。と勘定をお願いすると
「お兄さんたちはサーフィンかい?」と聞かれた。
そう、下田はサーファーが多く訪れる場所だ。
「いえ、僕らはダイビングです」と答えると
「あぁ、ハンマーヘッドか」と返ってきた。
神子元島のハンマーヘッドシャーク。下田のサーフィンに負けず劣らず相当な知名度があると見た。
翌朝、宿から歩いて3分ほどの弓ヶ浜を散歩した。西伊豆や東伊豆に多い溶岩の黒砂ではなく、真っ白な美しいビーチに、遠く小笠原諸島付近で発生した台風の静かなうねりが届いている。
南伊豆町を代表するこのビーチの沖合には、伊豆七島の新島や式根島が見える。