コンピュータの誕生〜インターネット時代へ
コンピュータの土台となった「チューリングマシン」
アラン・チューリングはわずか24歳で、現代のコンピュータの土台となる論文を書き上げました。
しかし、チューリングは、具体的な機械を作るつもりは毛ほどもなかったのです。
彼の目的は、1928年にドイツの数学者ヒルベルトが残した「決定問題」という数学の難問を解くことでした。
決定問題とは、簡単に言えば、「あらゆる数学の命題(例えば、2+2=4)について、答えが得られるのか、あるいは決定不能であるのか」を知りたいというものです。
もし数学が決定可能であれば、どんな問題でも「イエスかノー」で確実に答えられる機械が作れます。
チューリングは「その性能を備えるには、どんな機械だったら良いのか」を頭の中で想像しました。
そのアイデアが「チューリングマシン(1936)」です。
チューリングマシンは、どんな計算も自動で行える理論上のモデルであり、これがコンピュータの「ソフトウェア(アルゴリズム)」の原型になっていました。
実際、1941年には、チューリングマシンを図らずも具現化した初のコンピュータ「Z3」がベルリンで誕生しています。
世界を繋ぐ「インターネット」の登場!
最初は一部屋を埋めつくすほど巨大だったコンピュータも、時代につれてどんどん軽量化されました。
このコンピュータをさらに進化させたのが「インターネット」です。
インターネット元年は、1961年と言われます。
その背景には「コンピュータはもっと効率的な方法で接続できるはず」という考えがありました。
それまでの通信システムは、地点Aと地点Bを直接つなぐもので、とても非効率でした。
そこでマサチューセッツ工科大学の技術者、レナード・クラインロック氏(1934〜)は、「地点A〜Bへメッセージ全体を直接送るのではなく、メッセージを細かく刻んで(=パケット)、それぞれをネットワークに流して自由な経路を選ばせる」という方法を1961年に考案しました。
パケットはあて先の機械で再びメッセージとして組み立てられます。
直通の電線より効率がよく、2地点のコンピュータ間の接続がダウンした場合は、別のルートを探す柔軟性もありました。
1966年には、アメリカの高等研究計画局(ARPA)が、研究所内のコンピュータをつなぐネットワークの作成をクラインロック氏に依頼。
これが「アーパネット(ARPANET)」と呼ばれるようになります。
インターネットはその後も改良を受けながら、世界各地の都市をつないでいきます。
そして1989年、イギリスのコンピュータ科学者であるティム・バーナーズ=リー氏(1955〜)が、インターネット上で文書を自由に閲覧したり、共有するシステムがないことに不満を抱き、あるソフトを開発しました。
それが「ワールドワイドウェブ(WWW)」です。
これこそ、世界中のホームページをネットを通じて閲覧できるシステムであり、世界最初のウェブサイトの誕生を告げました。
こうした歴史の到達点として、現在のスマホやノートパソコンがあります。
90年代初期にインターネットで伝えられる情報は、世界中の情報の約1%でしたが、今ではほぼ100%に近づいています。
コンピュータやインターネットの進化は、これからさらに加速していくでしょう。
参考文献
『NewScientist 起源図鑑』
提供元・ナゾロジー
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