今の人が「コンピュータ」と聞けば、きっとパソコンなどの電子機器を思い浮かべるはずです。

しかし、今から70年以上も前にコンピュータが意味したのは、面倒な計算をする(compute)仕事、つまり「計算手(おもに女性)」でした。

これが現在の使い方になった背景には、「機械に自動で計算をさせたい」という科学者たちの夢がありました。

では、計算手はいかにして機械に取って代わったのでしょう?

また、そこから世界中のコンピュータを繋ぐ「インターネット」はどのようにして誕生したのでしょうか?

計算手が機械に変わるまで

「数表」のまちがいが計算機を生んだ!

計算手の成果は、あらゆる計算の結果が辞書のように引ける「数表」にまとめられました。

数表は、計算機以前の重要なツールであり、科学者や技術者、銀行員などが必ず携帯していたそうです。

「コンピュータ」はどうやって生まれたのか? 世界をつなぐインターネットの誕生秘話
(画像=数表 / Credt: ja.wikipedia、『ナゾロジー』より引用)

ところが、数表には欠点がありました。

すべての計算が人手で行われたため、ところどころに間違いが見られたのです。

1821年のある夜、裕福な数学者のチャールズ・バベッジは、友人と一緒に数表の間違いを探して楽しんでいました。

あまりに間違いが多いので、バベッジはつい「ああ、神様!こんな計算、蒸気機関でできるようになりませんか!」と声をあげたといいます。

その瞬間、彼の頭の中に「自動計算機」のアイデアが浮かんだのです。

「加減乗除」ができる計算機へ

バベッジはすぐに独自の計算機を設計し、それを「階差機関(difference engine)」と呼びました。

計算手と同じ計算を自動で行い、しかも間違いをしない機械です。

ところが、階差機関にできるのは足し算だけでした。

「コンピュータ」はどうやって生まれたのか? 世界をつなぐインターネットの誕生秘話
(画像=階差機関(米・コンピュータ歴史博物館) / Credt: ja.wikipedia、『ナゾロジー』より引用)

1837年、バベッジは足し算だけでなく、加減乗除のすべてをこなせる機械を着想します。

これが「解析機関(analytical engine)」です。

解析機関は、よく「世界初のコンピュータ」と形容されます。

決して大げさではなく、実際に今のコンピュータに繋がる特徴をいくつも持っていました。

CPU(中央処理装置)やメモリーがその例です。

「コンピュータ」はどうやって生まれたのか? 世界をつなぐインターネットの誕生秘話
(画像=バベッジ自身が一部を作った解析機関(ロンドン) / Credt: ja.wikipedia、『ナゾロジー』より引用)

しかしながら、バベッジが1871年にこの世を去ったとき、解析機関はほんの一部しか完成していませんでした。

この解析機関のアイデアを発展させ、現代のコンピュータの基礎を作り上げたのが、イギリスの天才数学者アラン・チューリング(1912〜1954)です。

チューリングはどんな功績を残したのでしょうか?