日本各地にあるお城はその土地のシンボルとなることも多いほか、何百年も前からの歴史を今に伝える文化財としての側面も持ち合わせています。日々の維持管理も重要ですが、ときには大規模な修理や再建工事が行われることもあります。例えば、「金のしゃちほこ」で有名な名古屋城では、天守閣について木造で復元する計画が持ち上がっているそうです。
尾張名古屋は城でもつ――名古屋城の天守を木造で復元?
尾張名古屋は城でもつ――。こんな言葉を聞いたことがあるでしょうか。いつごろ、誰が言い始めた言葉なのか、はっきりとしませんが、伊勢国(三重県)の民謡「伊勢民謡」の中にある一節です。この民謡の中で、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と歌われています。ここに出てくる「城」は「名古屋城」を指しているそうで、名古屋は名古屋城によって「もつ」、すなわち繁栄していると歌われているのです。
現在に続く名古屋の街は慶長15(1610)年に徳川家康が清洲から名古屋へ街を丸ごと移動させたことに始まります。当時の移転は「清洲越し」と呼ばれ、名古屋城の南側には碁盤の目のように整備された街並みが登場しました。これ以降、名古屋は徳川御三家の筆頭、尾張藩のおひざ元として大いに繁栄することになります。
1930年には城郭として国宝第1号に選ばれた名古屋城ですが、1945年の空襲によって天守閣など多くの建造物を焼失。戦後になり、市民からの寄付などもあって1959年に鉄筋コンクリートの天守閣が再建されました。
この天守閣について、木造に再建する計画が検討されています。名古屋城の公式サイトによれば、再建から60年が経過して設備の老朽化や耐震性の確保といった対応が必要となった一方で、詳細な実測図などの資料が数多く残されていることから史実通りの復元が行える見通しで、名古屋城跡の価値を広く内外に発信するために天守閣の木造復元計画を進めていると説明しています。
米軍の空襲によって名古屋城は天守を失いましたが、修復などをへて今でも城が建てられたときの天守を維持している城は現在、12カ所あるとされています。そのうちの1つが、兵庫県にある姫路城です。
「白鷺城」こと姫路城は天守を大規模補修
姫路市もまた市の中心部に姫路城を擁し、城下町として発展してきました。姫路城は、元弘3(1333)年に赤松則村が姫山に城を築いたことが始まりとされます。天正8(1580)年に姫路城は豊臣秀吉に献上され、秀吉が3層の天守を築いたそうです。慶長5(1600)年に池田輝政が城主となると大規模な改築が行われ、要衝として周囲ににらみをきかせました。
そんな姫路城は1993年、法隆寺(奈良県)とともに日本初の世界文化遺産に選ばれました。姫路城の公式サイトによれば、世界遺産として選出された理由としては、美的完成度が日本の木造建築の最高の位置にあり、世界的にも類のない優れたものである点や、17世紀初頭の城郭建築の最盛期に天守群を中心に櫓や門といった建造物などが良好に保存されており、防御に工夫した日本独自の城郭の構造をよく表している点が評価されたそうです。姫路城では2009年から大天守の保存修理が進められ、2015年に修理が完了。同年3月から一般公開が再開されました。2015年の姫路城への来場者は286万人超となり、全国の城郭の中で1位になったそうです。
震災からの復活が進む熊本城
「再建」が進められている城といえば熊本城でしょう。熊本城は慶長12(1607)年に加藤清正が茶臼山とよばれた丘陵に築城。加藤家が改易された後、豊前小倉城主だった細川忠利が肥後に入国して熊本城主となります。明治時代に起きた西南戦争では政府軍が籠城して西郷軍を退け、難攻不落の城であることを実証しました。
そんな熊本城も2016年4月に発生した熊本地震によって被害を受けましたが、修復工事が進められ、今年10月に大天守周辺が一般公開されました。内部はまだ修復中で2021年の春ごろに公開を予定しているそうです。
地元の人々ともに栄枯盛衰を経験してきた日本各地にあるお城。お城を通じてその土地の歴史の息吹を感じてみるのはいかがでしょうか。
文・J PRIME編集部/提供元・J PRIME
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