失われた製法 ― その正体は何だったのか?
ギリシア火の製法は、歴史の闇に完全に消え去った。当時の人々が残した断片的な記述から、その正体について様々な推測がなされている。
当初は、硝石(硝酸カリウム)を主成分とする初期の火薬ではないかと考えられた。「雷と煙」を伴うという描写がその根拠だったが、13世紀以前にヨーロッパや中東で硝石が兵器として使われた記録がないことから、この説は現在では否定されている。
また、「水をかけると激しく燃える」という特徴から、生石灰と水の化学反応を利用したという説も出された。しかし、実験では記録にあるような破壊力を再現できず、この説も信憑性は低い。
現代の学者たちの間で最も有力視されているのは、ナフサ(粗製ガソリン)を主成分とする石油ベースの混合物という説だ。これに、粘着性を高めるための松脂や硫黄などを混ぜ合わせていたと考えられている。東ローマ帝国は黒海周辺で産出される原油を容易に入手できたため、この説は非常に説得力がある。
兵器としての実力と限界
ギリシア火は、船首に据え付けられた青銅製のサイフォンから、加熱・加圧された液体燃料を敵艦に噴射するという、現代の火炎放射器に近いシステムで運用された。船だけでなく、城壁の攻略や防衛戦では、携帯型の「ハンドサイフォン」や、壺に詰めてカタパルトで投射する手榴弾のような形でも使用されたという。

その心理的・物理的な破壊力は絶大だったが、決して万能の「魔法の兵器」ではなかった。射程は短く、風向きや波の状況にも大きく左右されたため、使用できる状況は限られていた。やがて敵側も、酢に浸したフェルトで船体を覆うなど、様々な対抗策を編み出していった。
1204年の第4回十字軍によるコンスタンティノープル陥落以降、ギリシア火の記録は歴史から姿を消す。帝国の衰退とともに、その製造技術を知る者たちもいなくなり、古代世界最高の軍事機密は永遠に失われてしまった。
今なお多くの謎に包まれたこの兵器は、東ローマ帝国の栄光と滅亡を象徴する存在として、歴史にその名を刻んでいる。
参考:The Ancient Code、Wikipedia、ほか
※ 本記事の内容を無断で転載・動画化し、YouTubeやブログなどにアップロードすることを固く禁じます。