望む現実にたどり着いた先に待つもの

 記憶とは、完璧な記録映像ではない。何かを思い出すたびに、脳は過去の出来事を断片から再構築しており、その過程で元の体験が歪められる余地が生まれる。

 脳の記憶中枢である「海馬」は、わずかな手がかりから体験全体を復元しようとするが、時にその隙間を誤った情報で埋めてしまう。また、脳の「ファクトチェッカー」である前頭前皮質などは、誤解を招く情報に晒されると機能が弱まる。つまり、自己暗示やデジタルへの没入体験が十分に強ければ、脳は偽りの記憶を「想像」するだけでなく、実際に「体験した」と信じ込んでしまうのだ。

“もう一つの現実”へ旅立つ若者たち ― 危険な現実逃避「リアリティ・シフティング」とはの画像2
(画像=イメージ画像 Created with AI image generation)

 ハーバード大学医学部の精神科医オマール・スルタン・ハーク博士は、この現象を「主観的な自己創造という現代思想の現れだ」と分析する。現実は自己創造に限界を課すが、「現実そのものを騙すことができれば、自己創造に限界はなくなる」と同氏は言う。

 しかし、その代償は大きいかもしれない。一部のシフター(実践者)は、現実世界だけでなく、自分が望んだはずの異世界からも疎外感を覚え、人間関係や自分自身の正気さえも疑い始めていると報告している。現実逃避の本当の動機は、現実から逃げることではなく、自分自身から逃げることなのかもしれない。

 いつかZ世代がこの流行を笑って振り返る日が来るかもしれない。しかし、AIやディープフェイクによって、フィクションの世界がかつてないほどリアルに感じられるようになった今、彼らが本当に目を覚ましたいと願うかどうかは、誰にも分からないのである。

参考:Popular Mechanics、ほか

文=深森慎太郎

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