黒坂岳央です。

「大学くらいは出ておきなさい」という意見は、もうすでに過去の遺物となった。

かつては一部の人間だけが得られる希少な資格であった大卒だが、今やその価値は暴落した。いや、むしろ下手に大卒になどなってしまうと、無用なプライドを獲得するので人生の足を引っ張ることになる。

その理由はシンプル、大卒者が世界中で増えすぎてもはやマイノリティではなくなったからだ。マーケットで価値を帯びる要素に「希少性」があるが、マジョリティになった瞬間、価値は暴落する。

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「みんな大卒」の現代

OECDの統計によれば、日本の25〜34歳における大卒率は約66%に達しており、もはや「大卒は特別」という時代は終わった。国際的に見ても、日本は大卒率が高い国の一つである。かつては「大学を出た」というだけで社会的な能力のシグナルになっていたが、今では「誰でも持っている証明書」に格下げされているのである。

また、問題は量だけではなく質についてもそうだ。日本の大学生の授業外学習時間は平均52分/日という調査結果がある。入学してから遊び呆けてしまい、むしろバカになって卒業する学生も少なくない。大学が本来担うべき「高度な知識と技能の育成」が形骸化し、モラトリアム期間として消費されている現実がある。

さらに18歳人口は急激に減少しており、2040年には82万人規模になると予測されている。それに対して大学は810校以上存在し、学部入学定員は約63万人。人口減と供給過剰のミスマッチにより、Fランク大学の淘汰は避けられない。実際、短大はすでに閉鎖が相次いでおり、大学の再編も不可避である。

「大卒」というムダなプライド

そしてこれから考慮せざるを得ないマクロ環境変化は、なんといってもAIの台頭だ。OECDやIMFの報告書によれば、生成AIの影響を最も強く受ける職種は事務・秘書・会計などのホワイトカラー職である。