私は自分の人生は仕事を通じて作られた日々がほぼ全てであると認識しています。社会とのコネクションのバックボーンはほぼ全てそこから生まれていると言ってもよいでしょう。「何を言っている!お前はいろいろやっているじゃないか?」とおっしゃってくれる方もいるでしょう。ですが、考えてみると私はフィットネスは通常1人で、ロードバイクに乗るのも1人、山歩きは決まった人らと、読書も1人、NPOの理事もビジネス系団体として現役だから…と考えると今、自分がリタイアしたら社会とのつながりは一旦ゼロになりそうです。
さて、ゼロになった自分がまるで違う世界にどう入り込み、どう仲間を作るか、これは難題であります。永守重信氏がニデック(旧日本電産)をほぼリタイアし、京都先端科学大学の理事長として学校教育に第二の人生(氏に対して失礼を承知でそう言います)を見出したのは素晴らしいと思うし、自分もそうでありたいと思いますが、そんなことを今日言って明日できるものではなく、周到な準備が必要なのであります。
周到な準備をしてでも社会とつながりたい、それが私であり、その時は既に稼ぎとか給与がいくらというより参加意識が強いのだと思います。
私の会社のマリーナ事業にはマネージャー以下、カナダ人が4名いますが、彼らの平均年齢は67歳ぐらいかもしれません。ほぼ全員一旦リタイアしたのち、私の会社で働いてくださっています。彼らにはごく一般的な額の給与を払っていますが、一人も一言も文句を言わず、日々の作業ぶりも驚くほど高い忠誠心とコミットメントで「カナダ人ってこんなに働くのか?」と思わせます。彼らと時折ビールを飲みながら聞こえるのは「ひろが困らない様に俺たちが頑張る」であります。嬉しいです。彼らはそれ以上にマリーナ運営を通じて自分のスキルを活かしながら自分が頼りにされ、良い仕事をすれば称えられることに誇りを持っているのです。
そう考えると私にはやっぱりリタイアという言葉はないのだと思います。私の仕事は稼ぐための仕事ではない、それぞれの部門が提供するサービスが社会を支える一部となって従業員や顧客、ひいては社会を支えているのだ、と思うのと1人でカウチに座ってワイングラスを傾けるわけにはいかないのだと改めて思うのであります。