リタイア、一般的には定年であり、それは退職を意味します。狭義の意味でもありますが、途中転職があろうとも40年前後会社勤めしていた方々には「ご苦労さんでした」であります。
但し、それは昔の平均寿命の話。今は当時よりも10年も20年も平均寿命が延びている中、定年退職が60歳から65歳程度に伸びたぐらいでは計算上合わないわけで、実際には65歳から今までとはまるで違った業界の会社に再就職する方も多いわけです。もちろん、その就職もフルタイムというわけではなく、週数回といった形の方も多いでしょう。

AscentXmedia/iStock
なぜ、人は働くのか?、深い哲学的テーマでありますが、私は社会や組織とのコネクションだと考えています。40年も会社勤めした方々の思いとは「同じ釜の飯」ではなかったかと思うのです。私も務めていたゼネコンがもしも倒産しなければそのゼネコンで今頃、最後の御奉公をしていたのではないかと想像します。
つまり、一緒に汗を流した仲間は嫌な奴もいるけれどそこに自分の所属する社会があり、歴史が作られるのです。同期と先輩、後輩という人間関係もあるでしょう。失敗談や成功話、会社が経営難になって皆で歯を食いしばった時など様々なドラマがそこに展開するのです。当然、一人一人の従業員はドラマの出演者であり、未来を共に築いてきたのです。
そこはお金が第一義ではなかったと思うのです。多くの人は自分の会社の給与が「安い!」と思っているかもしれませんが、ストライキをして経営陣に楯突くほどではないでしょう。つまり給与はそこそこだけど安定した給与=決まった日に決まった金額をくれるので生活の基盤になることへのありがたみが重要であり、破格の給与増を求めていたとも思えないのです。
ではなぜ、人は働くのか、それは自分が社会の構成員としての参加意識ではないかと思うのです。世の中を見渡せば様々な人がいます。が、日本は世界に比べて浮浪者の数も少なく、かなりお年を召している方でも前線で働いている方がいます。自営業の方にはカラダが続くまで頑張る方がいるのは「お客さんが喜んでくれる顔を見たい」からとされます。立派な社会とのコネクションです。