成功した人がブランドもののキラキラ・アイテムを映してるからと言って、それは「演出」でそうしてるだけで、同じようにキラキラぶりをPRすれば誰でも成功できるわけじゃない。が、それをわからないまま自分が発信する側に回っちゃうと、悲劇が起きる。
「こんなことどうやって思いつくんだ」って思わせるアイデアは、乱暴な現場の偶然性がきっかけになって生まれる。そのような偶然が生じやすい現場をつくることは大切だけど、その「偶然」を再現しようとしても無駄だ。
まして「卑近なきっかけ」を直接マネしてもしょうがない。風呂に入れば「エウレカ! エウレカ!」ってなったのだから、がんばって風呂に入ろうなんてのは馬鹿げてるだろう。
米光著、6頁
この箇所を読んで、久しぶりに歴史学のことを思い出した(笑)。歴史を描く上でも「因果関係」を想定するのは大事だけど、ストーリー作りに成熟していないと、「風呂が発明の原因だ!」みたいなミスをしがちだ。
たとえば第一次世界大戦の「きっかけ」はサラエボ事件で、犯人の名はプリンチップという。でもじゃあそのプリンチップ氏の私生活を、インスタライブを覗き見する感じで事細かにジッショー! すれば、戦争の「原因」がわかるだろうか。
そんなわけない。昔読んだその説明がちょうど、米光さんの書き方とぴったり同じで、懐かしく思い出した。