ちなみに、欧州ではニヒリズムと共に、不可知論が拡大している。独ローマ・カトリック教会司教会議議長のロベルト・ツォリチィ大司教は2010年1月31日、「欧州社会では実用的な不可知論(Agnosticism)と宗教への無関心が次第に広がってきた」と警告を発し、「十字架は学校や公共場所から追放され、人間は一個の細胞とみなされ、金銭的な評価で価値が決定されている」と批判した。不可知論とは、神の存在、霊界、死後の世界など形而上学的な問題について、人間は認識不可能である、という神学的、哲学的立場だ。神の存在を否定しないが、肯定もしない。ニーチェがいう“受動的ニヒリズム”の世界とどこか似ている。
また、フランスの政治学者オリビエ・ロイ氏(OlivierRoy)は著書「ジハードとその死」の中で、「イスラム教のテロは若いニヒリストの運動であり、宗教的要因はあくまでも偶然に過ぎない」と主張し、「イスラム教過激テロの背後には、聖典コーランの過激な解釈の影響があると受け取られてきたが、イスラム教の過激な解釈は付け足しに過ぎない。問題はテロリストがニヒリストであり、ノー未来派の世代に属する若者たちだからだ」と強調している。
ウイーン大学の哲学部に入学すると、教授は「ニーチェは『神は死んだ』といったが、死んだのは神ではなく、ニーチェだった」と冗談をいって、学生たちを笑わせる。ところで、ニーチェは「神は死んだ」といったが、その前に「我々が神を殺した」と述べていたことを忘れがちだ。
「神は死んだ」ということは、神はその前には生きていたことを意味する。神は社会生活では共通の価値観、世界観だった。だから、その神が死ねば、当然、価値観、人生の意味を失う。価値観の最高の保証人である神を失った結果、人間は価値や意味のない世界に放り出されるわけだ。
「神は死んだ」と叫んだニーチェは近代社会から価値、意味を奪ったが、そこで留まっていない。新たな価値観を見出すべき「超人」の道を模索しだす。これはニーチェの「超人思想」と呼ばれる。