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「忙しい」という言葉の裏側に、私は現代人の深い恐怖を見る。それは「自分の本当の価値」と向き合うことへの恐怖だ。
考えてみてほしい。もし明日から、あなたの仕事の8割が消えたとしたら? その時、あなたは自分の価値を証明できるだろうか。
「仕事が速い人がやっている 捨てる仕事術」(後藤勇人 著)あさ出版
「全部できる」という優等生の病
日本の教育システムは「オールラウンダー」を量産する。国語も算数も理科も社会も、すべて平均点以上を求められる。苦手科目があれば、それを克服することが美徳とされる。
この価値観が、そのまま職場に持ち込まれていると、著者は疑問を呈している。
「できる人」ほど、すべてをこなそうとする。企画書も作れて、プレゼンもできて、経理も分かって、マネジメントもする。一見素晴らしいことのように見える。しかし、ここに大きな落とし穴がある。すべてを70点でこなす人と、一つのことで100点を取る人。市場が求めるのは、圧倒的に後者だ。
スティーブ・ジョブズがすべての仕事をこなせたわけではない。むしろ、彼は多くのことが「できなかった」。しかし、プロダクトへのこだわりと美意識において、彼は誰にも負けなかった。それが Apple を世界一の企業にした。
責任感という美しい罠
「責任感が強い」──日本社会において、これほど危険な褒め言葉はない。なぜなら、この言葉は巧妙に個人の境界線を曖昧にし、無限の自己犠牲を正当化する魔法の言葉だからだ。
本来、責任とは「自分の役割を全うすること」のはずだ。しかし、いつの間にか「みんなの仕事を抱え込むこと」にすり替わっている。これは責任感ではない。境界線の喪失だ。
興味深いことに、本当に成果を出している人ほど、「NO」と言うのが上手い。彼らは自分の責任範囲を明確に理解し、それ以外のことには手を出さない。冷たいように見えるかもしれない。しかし、それこそが本当の責任感ではないだろうか。