この記事を読んで、「ああ、トランプ氏も天国に行きたいのだな」と共感を覚えた。プロテスタント派福音教会信者のトランプ氏が熱心な信仰者か否かは不明だが、選挙戦中もその後も「神」という言葉が飛び出す回数は通常の米大統領よりも多い。自身の名前を入れた「聖書」を出版販売するなど、天国へ行くための準備には怠りがないようだ。

敬虔なキリスト者は「最後の審判」で合格して、天国に行くことを願う。ひょっとしたら、米大統領というこの世では最高の立場にいるトランプ氏も、死後の「最後の審判」がやはり気になりだしたのかもしれない。

興味深い点は、トランプ氏は多くの善行(この場合、紛争問題の解決)を重ねれば、天国に行けると確信していることだ。ある意味で、信仰者の発想というより、ビジネスマン的な発想だ。これだけしたのだから、これだけはもらえる、といった計算が働いている。親鸞の『歎異抄』には「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という有名な言葉があるが、トランプ氏が親鸞のこの言葉を聞いたら、どのように反応するだろうか。天国行きの善行を止めるだろうか。

キリスト教では「天国」は神の国だ。そこでは悲しみも苦しみも涙も死もなく、神との完全な交わりが永遠に続く、愛に満ちた場所だ。キリスト教を信じていない人も誰でも死んだ後、行きたい場所だ。仏教では極楽浄土だ。ただし、仏教の場合、輪廻転生を超越してからでなくては極楽浄土には入れないから、ハードルは少し複雑だ。

話をトランプ氏の「天国行き」に戻す。トランプ氏が天国に行きたいことは理解できたが、天国行きのチケットを誰から手に入れるのか。ウクライナのゼレンスキー大統領を説得し、ロシアのプーチン大統領が和平条約を調印すれば、ノーベル平和賞はかなり近づくが、同時に天国行きはそれで決定かというと、そうとは言えない。「天国行き」は「ノーベル平和賞」よりハードルが高いというより、全く異なった基準が適応されるからだ。トランプ氏の得意のディールも通用しない。