「上から目線」という言葉をよく耳にします。私のブログに上から目線というコメントを頂くこともあります。たぶん、それは真の意味の上から目線ではなく、経営者目線ということではないかと察しています。つまり風景は何処から見るかによってまるで違うともいえます。

私は山によく登りますが、バンクーバーの街並みが一望できる標高1200メールぐらいの地点に立てばなるほどバンクーバーのダウンタウンなんてちっぽけなもので広大な大地のごく一角にギュッと高層ビルが立ち並んでいる程度にしか見えません。ところがダウンタウンを歩いていれば高層ビル群が威圧する巨人のように感じ、自分がちっぽけな存在でしかありません。

目線というのは100人100様で、国籍、年齢、性別、信条、仕事や収入、資産、家族構成、人生哲学…によりほぼ全ての人が違う見方や考え方を持っています。例えばこのブログにしてもコメントに毎日のように30程度の真摯なるご意見を頂戴しますが、私がどれだけアホなことを言っても「そうだよね」という方もいれば「アホ!」と痛烈なパンチを頂くこともあります。以前から申し上げているように数学のように答えが一つに収れんする場合と違い、社会科学の場合は答えは無限とは言わずとも片手ぐらいは浮かぶものです。

私がカナダにきた時一番衝撃だったのは回答はたくさんあり、その中から最適解を選ぶという発想でした。つまり日本の試験で4択問題がある場合、3つは明らかに間違いで1つだけ正解があり、それを選ぶことを教育と称し、高い授業料を払って進学塾に行かせるわけです。では進学塾のない当地に於いてどうやって勉強するのかと言えば4択問題は全部正解であり、あなたはその中でなぜそれを選んだのか説明せよ、というのが最もわかりやすい違いなのだと思います。

よって人により解は変わり、当然ながらそこで議論が生まれます。ある意味、人と人が個を尊重しながらも違いを明白にさせ、一定のところで妥協するという社会共生も学びます。例えば高級住宅街に行けばどの家の庭もきれいに手入れしています。それは各住宅の所有者が皆庭いじりが好きなわけではなく、高級住宅地という価値を維持し、景観を整えるために当然やるべき義務だと共生の基本がそこに存在するのです。