2022年に京都市の高齢者施設で86歳の女性がにぎりずしを喉に詰まらせて亡くなった件で、名古屋地裁は施設側に「慎重さを欠いた」として約2900万円の賠償を命じました。
これは医療過誤訴訟と同じで、 救急患者を受け入れると事故で訴訟を起こされる →たらい回し →どこも受け入れないで死ぬという「意図せざる結果」が起こる。司法業界には、この論理がわからない人が実に多い。
高齢者施設「クリスマス祝い」すしで86歳窒息死…
— 池田信夫 (@ikedanob) August 19, 2025
参照:高齢者施設「クリスマス祝い」すしで86歳窒息死 「慎重さを欠いた」裁判で明らかになった問題点とは
判決は法の名のもとに「安全第一」を徹底するよう迫ったわけですが、その結果として現場に広がる光景はどうなるのでしょうか。

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これから介護施設では、誤嚥のリスクを少しでも避けるために寿司は提供されず、餅も禁止、果ては固形物そのものが敬遠されるかもしれません。結果、裁判所の善意が介護施設を「命の安全は守られるが、生活の質は地獄」という場所に変えてしまうのです。
こういう判決が出ると、介護施設は寿司は食べさせない。トイレに行きたくでも車椅子でなければ行かせない。結果、オムツに排尿させても賠償金は取られない。ベッドから落ちてケガをしたり死亡したりすれば賠償金を取られるが、ベルトで縛り付けても罰せられない。介護施設を牢屋より酷い地獄にするのは… WlkenJa
— 馬場正博 (@realwavebaba) August 19, 2025
本来なら「どう生きるか」「どう楽しむか」を支えるのが介護の役割ですが、この判決の論理を突き詰めれば「どう死なせないか」だけが優先されます。もちろん命は大切ですが、人間は必ず死ぬ存在であり、その過程をどう過ごすかこそが本質のはずです。にもかかわらず、司法の目には「寿司を食べたい」という願いよりも「事故が起きた責任」を糾弾することの方が重要に映るのでしょう。