伝説は「ゴブリンコン」へ ― 現代に受け継がれる物語

 事件から70年、この物語は風化するどころか、地元にとって重要な文化遺産となっている。かつては毎年「ケリー・リトル・グリーン・メン・デイズ・フェスティバル」という祭りが開催され、多くのファンで賑わった。

 そして今年、70周年を記念して「ゴブリンコン」という新たなイベントが開催される。このイベントはUFOや宇宙人遭遇譚だけでなく、ビッグフットやゴーストハントといった他の超常現象も扱う、より幅広い内容になるという。

 地元の観光局「Visit Hopkinsville」もこのイベントを全面的にバックアップしている。観光局のエイミー・ロジャース氏は「私はUFOの存在を信じています。この世界にいるのは私たちだけではないはず」と語り、自身のスマートフォンの着信音が『X-ファイル』のテーマソングであることを明かした。ビジターセンターでは、エイリアン関連のお土産が人気を博しているという。

「小さな緑の男」ではなかった ― 当事者の娘が語る真相

 しかし、この事件には長年にわたる「誤解」があった。それを正そうとしているのが、事件当事者の娘であり、今回の「ゴブリンコン」にも登壇するジェラルディン・サットン・スティス氏だ。彼女は、報道された内容にはいくつかの決定的な間違いがあると指摘する。

 第一に、現れた生物の数。新聞では十数体と報じられたが、「父は、現れたのは常に同じ3、4体だったと断言していました。何度撃っても死ななかっただけなのです」と彼女は語る。

“灰色の侵略者”との死闘 ― UFO史の金字塔「ケリー・ホプキンスビル事件」と、世界中が誤解した“リトル・グリーン・メン”伝説の画像3
(画像=イメージ画像 Created with AI image generation (OpenAI))

 そして第二に、最も有名な「リトル・グリーン・メン(小さな緑の男)」という呼び名だ。

「彼らは緑色ではありませんでした。色は“ガンメタル・グレイ”、つまり鈍い鋼のような灰色だったのです。『リトル・グリーン・メン』という呼び名は、ある記者が地名の『ケリー(Kelly)』と、色の名前である『ケリーグリーン(Kelly green)』をかけた駄洒落から生まれました」

 では、なぜこのイベントは「ゴブリンコン」なのか。実は、「ゴブリン」という呼び名こそ、一家が使っていた言葉だった。

「“ゴブリン”という言葉は、私の祖母から来ました。彼女はとても信心深い人で、この奇妙な生物たちを見て最初に思ったのが、『これは悪魔が連れてきたものだ』ということだったのです」