空が燃え、月が青く染まった科学的理由
クラカタウ火山が空高く噴き上げた大量の火山灰やガスは、成層圏にまで達し、地球全体を覆い尽くした。これにより太陽光が遮られ、地球の平均気温は数ヶ月にわたって0.6℃も低下した。
そして、この大気中に漂う微粒子が、光のスペクタクルショーを演出したのである。
通常、夕焼けが赤く見えるのは、太陽光が地平線近くの厚い大気の層を通過する際、波長の短い青い光が散乱し、波長の長い赤い光だけが私たちの目に届くからだ。
しかし、1883年の空には、火山性の微粒子(エアロゾル)が満ちていた。この粒子が太陽光をより複雑に散乱・屈折させたことで、赤色はさらに燃えるように鮮やかになり、時には紫色まで加わったのだ。
さらに科学者たちは、火山性の硫酸エアロゾルが赤い光を強く散乱させることで、補色である「緑色の夕日」が現れたことを突き止めている。そして、この同じ光学効果によって、数週間にわたり「青い月」が観測されたのである。当時のニューヨーク・タイムズ紙は、「街の人々はその異様な光景に度肝を抜かれた…海は血のような赤色に染まっていた」と報じている。

ムンクの『叫び』も火山が生んだ? 芸術家たちに与えた衝撃
この異様な空は、芸術家たちの感性をも激しく揺さぶったのかもしれない。有名なのが、ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクが噴火の10年後に描いた、あの傑作『叫び』である。
ムンクは、この絵のインスピレーションを得た瞬間を次のように書き記している。
「私は二人の友人と道を歩いていた。太陽が沈み、突然、空が血のように赤くなった。私は立ち止まり、手すりに寄りかかった。死ぬほど疲れていた。青黒いフィヨルドと街の上に、血と炎の舌のような雲がかかっていた。友人たちは先に行ってしまい、私は不安に震えながら一人で立っていた。自然を貫く、果てしない大きな叫びを感じた」
この「血のように赤い空」は、まさにクラカタウ火山の噴火がもたらした光景そのものではないだろうか。
1880年代は、モネやゴッホ、ルノワールといった印象派・後期印象派の画家たちが、光と色彩の新たな表現を模索していた時代でもあった。彼らの作品に描かれた、時に幻想的で、時に不穏な空の色。それもまた、地球の裏側で起きた一つの火山噴火が、芸術家たちの心に残した焼き印だったのかもしれない。
参考:IFLScience、ほか
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