注目・関心の獲得
否定的な形であっても、自分が相手の意識の中心にいることに満足する場合があります。 これは子どもがわざと親を怒らせる行動や、SNSでわざと挑発的なコメントをする行動と似ています。
ただ、こうした心理的背景があったとしても、当然誰に罵倒されても嬉しいというわけではありません。日常生活の中で罵倒されれば不快感や不安を感じるのが当たり前です。
罵倒されて喜べる背景には、もう1つ重要な要因があります。
「本気で嫌われているわけではない」という安心感
感情的マゾヒズムが成立するためにもう一つ重要なのが、「安全な文脈」という要素です。
これは心理学者ポール・ローゼン(Paul Rozin)らが提唱した「良性マゾヒズム」の特徴と共通しています。
良性マゾヒズムとは、危険がないとわかっている状況だと、不快や恐怖を楽しめる傾向を指します。
たとえば、絶叫マシンは「あくまで安全が確保された娯楽」とわかっているからこそスリルを楽しめます。ホラー映画やゲームも同様で、命を危険にさらす恐怖を安全な場所から楽しみます。これらは良性マゾヒズムの一種とされます。

同じことが好きな人の罵倒にも当てはまります。
信頼できる相手や好意を持つ相手から罵倒されるというコンテンツは、本気で嫌われているわけではないと理解しているため、そこで生じる不快感を脅威とは感じません。
この「安全な不快感」は、ホラー映画を楽しむように、安全だとわかっているからこそ味わえる刺激として受け止められます。その結果、関係性にちょっとしたスリルや高揚感を与える「演出」として作用するのです。
一方で、職場の上司や見知らぬ人からの罵倒は安全地帯の外で起きる出来事です。そこには信頼関係も冗談の余地もないため、単なるストレスや脅威として受け止められます。