もちろん、その背景も考えなくてはいけません。幕府と朝廷という日本の歴史であります。江戸時代が終わり、鎌倉時代から続いた幕府の時代が終焉します。幕末の朝廷はほとんど世間を知らず、長州藩による朝廷への画策など様々な変遷すらありました。尊王攘夷運動においても朝廷が開国への強い抵抗を示したのは情報と知識の欠如による保守的思考に走ったところは大きかったと個人的には思っています。

それが明治時代になり、大日本国憲法が生まれたとたん、天皇の位置づけは180度転換するのです。これが日本を狂わせたと私は思っています。司馬遼太郎氏は日露戦争の後、日本はよくわからない時期に入ってしまったと述べ、氏の歴史小説はそれ以降の時代の題材のものを書いていません。違う日本だと考えていたようです。それが「坂の上の雲」に昇った日本であり、僭越ながら私が思う「雲の上」とは地に足がついていないふわふわした状態のなか、時の流れに押されてしまった、というのが感想です。

ドイツは戦前と戦後では国が変わったとも言われます。ヒトラー時代を敵視、完全否定し、彼らの時代に思想的責任を押し付けます。一方、日本の場合は「菊と刀」が歴史に大きな影響を与えたと考えています。あの著書を批判する意見は多いのですが、それは個別内容のことであり、私が重視するのはあれがアメリカにとって数少ない日本研究の書であった点です。ベネディクト女史が書として発刊したのは1946年ですが、女史は1942年からアメリカ軍戦争情報局の対日戦争研究のチーフだったのです。当然ながら、研究成果は折々報告されていたはずです。そして天皇制が日本にとっていかに重要だったかという判断材料はそこにあったのではないでしょうか?

戦争責任について述べようとすると天皇にスポットが当たるので議論展開しにくいと思うのですが、新しい日本国憲法が47年5月3日に施行されたという事実をもって過去と大きな区切りをつけたという見方ができないかと考えています。