戦後80年という節目もあり、今年は「恒例の行事」も例年以上に盛大、活発に行われているようです。
一方で戦争の時代にいつまでも囚われているべきか、という声もちらほら聞こえてきます。
戦後70年談話を行った故安倍晋三氏は「安倍晋三回顧録」で「戦後80年のときはやる必要はない」と述べています。その意味とは「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という意見であり、区切りをつけようじゃないか、という考えです。安倍氏は当時揉めていた日韓関係についても未来志向という姿勢を打ち出し、これとほぼ全く同様の、いつまでも謝罪する文化ではなく、ともに築くべきという姿勢を打ち出しています。
戦後80年もたつと確かにあの戦争を記憶として知っている方は現在90歳近く以上の方になるわけで遠い昔の話になっていくことは確かです。一方、毎年広島や長崎で行われる平和祈念式典や8月15日の全国戦没者追悼式など毎年その記憶があせることなく、世代から世代に話継がれることを通じて我々日本人はそれをしっかりカラダで受け止めている、そう考えています。
戦争責任の問題を取り上げる時、昭和天皇が気の毒だ、という考え方があります。私はそうではなくて大日本国憲法がそうさせたのだ、と考えています。ご承知の通り同憲法は「天皇が国の元首として統治権を総攬する立憲君主制を定めている」わけで当時の日本国の憲法上の規定によりそのような体制になった与件があったのです。また、病弱だった大正天皇を別として明治天皇が果たした日本の目覚めの役割は大きかったのです。
現在、改修工事で休館中ですが、東京 青山の聖徳記念絵画館をご興味ある方は一度ご覧になられたらよいでしょう。そこには明治天皇が勇ましく活躍する数多くの絵画が展示されています。立憲君主制と絶対君主制は相反するものであり、形式上は日本は立憲君主制とされましたが天皇に逆らうことは実質的に不可能であり、明治天皇は特に采配を振るうことに熱心だったのです。