なお、モラエス氏の新説について、教皇庁聖骸布管理官は4日、公式声明を発表した。全文は以下の通りだ。
「再び、聖骸布とその謎に関する新たな『啓示』が発表されている。今日、聖骸布は人間の遺体ではなく、その特徴を再現する人工の『模型』の上に敷かれたという仮説が浮上している。教皇庁聖骸布管理官は、ある程度の信頼性を持つ科学者が自由に提唱する仮説についてコメントする理由はない。管理官に科学的支援を提供しているトリノ聖骸布国際研究センターは、この『発見』の方法と結果を詳細に分析した文書を発表した。真実か信憑性か、新しいか古いかを問わず、特定の『ニュース』が世界規模の瞬時のメディアサーキットで大騒ぎを起こすことに、私たちはそれほど驚くことはない。しかし、提示された研究を綿密に検証しても、しばしばその結論が表面的すぎるという懸念は残る。そして、私たちは、これほど簡単に公表されるものに対して、必要な批判的関心を決して失わないよう、改めて呼びかけなければならない」
ちなみに、1988年、放射性炭素年代測定が実施され、トリノの聖骸布がイエス時代のものではなく、中世時代のものと結論を出したニュースが報じられた時、「リンネルの布を放射性炭素で年代測定することは難しい。保存剤に漬けられたリンネルを測定しても間違った年代を測量するだけだ。ロウソクや人々の手が触ったりしているから、聖骸布のような歴史的なリンネルの正確な年代測定には放射性炭素測定は向いていない」といった反論が「トリノの聖骸布」の研究で著名なエマヌエラ・マリネリ教授から飛び出したことがあった。
カトリック教会は、この聖遺物の真正性について公式にコメントしていない。したがって、厳密な意味での聖遺物ではない。教会関係者は、年代の問題は信仰にとって重要ではないと指摘している。「サクラ・シンドーネ」は1578年からトリノ大聖堂に保管されている。
「トリノの聖骸布」は西暦2000年の大聖年に初めて公開された後、10年5月に再び一般公開された。当時のローマ教皇ベネディクト16世はトリノに足を運び、観賞し、その前で祈った。その後、15年にも一般公開された。世界から数百万人の信者たちがイエスの遺体を包んだ布を一目見ようとトリノ市に足を運んだ。