
ヴィッセル神戸から海外移籍を果たしたDF小林友希は、スコットランド1部セルティック、ポルトガル2部ポルティモネンセと渡り歩き、2025年夏にポーランド1部ヤギエロニア・ビャウィストクへ移籍。セルティック在籍時に鹿島アントラーズや横浜F・マリノスからの関心が報じられたが、本人が当時のJリーグ復帰報道に言及している。
2021シーズン終了後に神戸からセルティックへ完全移籍した小林は、アンジェ・ポステコグルーからブレンダン・ロジャーズへ監督が代わった2023年夏、日産スタジアム開催の横浜FM戦で負傷。復帰後もトップチームで一度も出番が無く、一時リザーブチームでプレーしていた。
そんな小林の去就を巡っては、2023年11月に神戸復帰の可能性が報じられると、英紙『デイリーメール』は2024年1月はじめに「横浜FMへ期限付き移籍することになる」と報道。3月には英紙『デイリーレコード』が「セルティックは鹿島からのオファーを拒否」と伝えていた。
フィンランド1部ヘルシンキへの移籍破談も報じられた小林だが、ポーランド『weszlo』で8月7日に掲載されたインタビュー記事によると、同選手はセルティックでの出場機会減少や自身の去就報道についてこう語ったという。
「2023年夏にアンジェ・ポステコグルーからブレンダン・ロジャーズへ監督が代わったけど、ロジャーズはポステコグルーとは少しタイプの違う人物で、選手たちとより多くコミュニケーションをとっていた。ただ、チームのプレースタイルに大きな変化はなかったという印象。日本で合宿や親善試合を行ったけど、僕は(横浜FM戦で)ケガをしてしまった。足首をひねって、ほぼ2か月間トレーニングから離れた。不運にも、同じ時期に他のセンターバック2人もケガをし、そのポジションで3人も加わった。復帰したときには、センターバックの数が多くて出場機会はあまりないだろうと感じていた」