重要なのは、教育の価値を否定することではなく、「教育で変われる部分」と「教育では変えられない部分」を冷静に見極める力である。

人は基本的に変わらない

「他人と過去は変わらない。変えられるのは自分と未来」という有名な話がある。「自分は変わりたい、変わろう」と願う人間は変われるが、そうでない人を変えることは基本的に出来ないのだ。そしてこの話には科学的な裏付けが存在する。

心理学の世界では、性格は極めて硬直的とする研究が多い。「ビッグファイブ理論」によれば、誠実性や協調性、情緒安定性といった特性は、成人後は大きく変わりにくいとされる。たとえば「自己中心的」「責任回避傾向が強い」「対人関係でトラブルを起こしがち」といった傾向は、教育によって根本から変えるのは難しい。

一方で、スキルや知識といった要素は、本人の意欲と適切な環境があれば改善が可能である。この科学的裏付けからも「スキルや経験は伸ばせるが、人格を変えることは難しい」ということだ。

性善説と文化的期待の落とし穴

日本の企業文化には、「人は本来、善である」という性善説的な採用観が色濃く存在する。これは教育によって矯正・育成できるという前提に基づいているが、実務の現場ではそれが通用しないケースも多い。

とくに近年では、外国籍人材や異なる価値観を持つ人材の採用が進んでいる。多様性そのものは歓迎すべきであるが、全員を「日本的な価値観に矯正する」というアプローチには限界がある。たとえば、個人主義を強く尊重する文化圏では、組織や集団の利益を優先する日本式の協調性が理解されにくいことがある。

筆者は多国籍な人材がいるグローバル企業で働いていた時期があったが、外国人を「根っこから日本人のように振る舞い、発想するビジネスマン」に変えることは現実的ではないと思える。

一方で接客や言葉遣いなどは「スキル」の領域として、多くの外国人労働者が努力してそれらを獲得している。(もっとも、自分のいた環境ではそもそも、日本人らしい振る舞いは求められず、必要なのは「結果」だけだったのだが)。ここで言いたいのは根本的な気質、性格、人格は教育で後天的に変えることは難しいということだ。