同国野党は当時、与党「救国戦線」がルーマニアの民主革命をダメにしたとして、第2の民主革命が必要だと主張していたが、ロマン首相は「断言するが、ルーマニアの民主化は同革命の成果である。第2の革命云々はナンセンスだ」と強く反論した。

ブカレスト市内で反イリエスク大統領のデモ集会が開催された時、新政権は治安部隊を出動させ、多数の市民が逮捕され、負傷者も出た。ロマン首相は日本政府に対しても、「経済支援と人権問題をリンクさせることは間違いだ。どのような民主化の方法をとるかはルーマニア政府が決定すべき問題だ」と強調した。

同国検察庁は革命の血みどろの時代に多数の死者を出したとして、「革命裁判」でイリエスク氏を起訴し、人道に対する罪を含む罪で起訴する予定だったが、結局実施されなかった。なお、ブカレストからの情報によると、イリエスク氏の葬儀は国葬として挙行される予定という。

ロマン首相は民主革命直後から2年間余り首相を務めた後、上院議長、外相などを歴任している。現在79歳。会見から35年の年月が過ぎた。同国は2004年に北大西洋条約機構(NATO)に、そして2007年に欧州連合(EU)にそれぞれ加盟した。ルーマニアの政情は今年5月に実施された大統領選に見られるように、極右政党「ルーマニア統一同盟」(AUR)が躍進するなど、ここにきて右傾化してきている。

1989年、救国戦線による政権樹立を発表するイリエスク氏 Wikipediaより

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年8月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。