一部の歴史見解には「日本の戦争時代とはアジア地区における欧米の植民地支配からの解放を目指したものである」と主張するものもあります。それには一理あるのですが、もちろんもろ手を挙げて賛成できる筋論でもありません。ちなみに西郷隆盛の征韓論は当時鎖国をしていた朝鮮を武力を持って開国させようというのが一般的な理解だと思います。ではその理由はご存じでしょうか?それはロシアの南下リスクがあり、日本がその影響を受けることが懸念されたために西郷が朝鮮に開国を迫り、足腰を鍛えて立ち上がらせようとしたというのがストーリーラインです。つまり、西郷は欧米による植民地政策への防御策を目指したと言えなくはないのです。
日本も一時期を除き基本的には平和志向でありますが、もちろん歴史を見れば豊臣秀吉の朝鮮出兵など例外はあります。これなど出兵に関し、いまだに明快な理由は出ておらず、歴史学者が様々な見解を示しているところですが日本人の傾向というより秀吉の単独的判断であり、朝鮮出兵させられた武士は基本的にはあまり気が進まない戦いだったと理解しています。
戦後80年の節目の折、ウクライナやガザでは戦争が起き、きな臭い時代に突入しています。
これを踏まえ、戦後80年の談話は過去のベクトルを延長させるなら被爆国日本が発する世界平和憲章ぐらいの立ち位置でもよいのではないかと思います。一方、日本の一部には再軍備、ないし核武装という意見があるようですが、私が明白に思うのは日本は一神教の欧米人ではないということであります。よって彼らの真似をする必要はないのです。つまり、いくらG7の構成国であろうとも紛争について彼らと共同歩調ばかりではなく、自国の筋を通せばよいのです。日本は平和を心底望んでいる国であるわけで、戦争に参加せず、解決を模索し、安寧を目指すと明白なステートメントを出す勇気も必要でしょう。
一方で自国を守るという軍隊は必要だと思います。あくまでも自己防衛手段であり、同時に国民に国防を「交渉による外交」と「防衛戦力による自衛手段」をもつことで自衛の国民意識を一体化させる意味でも必要だと思うのです。一方で核を持っていれば相手は攻めにくいから日本も核武装すべきという考え方は果たして本当に論理的なのか、今一度、一歩下がって冷静に考える必要があります。欧米流の思考回路に乗せられた時点で日本の負けだと私は考えています。