河村勇輝がシカゴ・ブルズと2WAY契約にたどり着いたことは、日本でも大きなニュースとなった。日本でもおなじみのシカゴ・ブルズだが、チームの歴史の中でもエポックメイキングとなった偉大な選手を5人紹介する。
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マイケル・ジョーダン(在籍期間 1984-1993、1995-1998)
「バスケットボールの神様」と称されるジョーダンは、ブルズの黄金期を築いた最大の立役者。1984年に入団後、卓越した得点力と勝負強さで1990年代に6度のNBAファイナル優勝へ導いた。自身もファイナルMVP史上最多の6回受賞している。特に1990-91シーズンから1992-93シーズン。また、1995-96シーズンから1997-98年の「スリーピート(3連覇)」は圧巻。5度のシーズンMVP、10度のシーズン得点王など個人記録も輝かしく、シカゴ・ブルズ=マイケル・ジョーダンというイメージを決定づけた。そして、その影響力はNBAやスポーツの枠を超えて世界的なカルチャーアイコンにまで拡がった。
スコッティ・ピッペン(在籍期間 1987-1998、2003-2004)
ジョーダンの右腕としてブルズ王朝を支えた万能型フォワード。ディフェンス、パス、得点とすべてにおいてハイレベルなオールラウンダーで、ブルズのトライアングルオフェンスの中核を担った。特に守備では相手のエースに対するプレッシャーを常に与え、チーム全体のバランスを整えるキープレイヤーだった。ジョーダンがMLBに転向した後もチームを牽引し、その存在の重要性を証明。ブルズの6度の優勝は、ピッペンなしでは成しえなかったと言える。
デリック・ローズ(在籍期間 2008-2016)
2008年にドラフト全体1位で地元シカゴ出身選手として入団。爆発的なスピードとアクロバティックなフィニッシュでファンを魅了した。2010-11シーズンには史上最年少(当時)でシーズンMVPに輝き、ジョーダン以来の「救世主」として期待を一身に集めることになった。しかし、度重なるケガによりキャリアは決して順風満帆ではなく、2016年にはニックスにトレードされることに。しかし、シカゴへの愛情はファンに深く支持され続け、引退後の2025年1月に彼の背番号「1」が永久欠番に。ローズはジョーダン以降の新時代ブルズを象徴する存在だった。