大祭司エリが死んだ「あの門」も発見か
聖書によれば、シロはイスラエルの歴史における重要な舞台だった。大祭司エリがこの地で幕屋を司っていた時代、イスラエル人はペリシテ人との戦争に神の助けを借りようと、アークを戦場へ持ち出した。
しかし、その計画は裏目に出る。アークはペリシテ人に奪われ、エリの息子たちも戦死。アークが奪われたという知らせを聞いた98歳のエリは、衝撃のあまり椅子から転げ落ち、首の骨を折って死んでしまった、と聖書は記している。
ストリプリング博士は、今回発見された遺跡の近くで、まさにこのエリが死んだとされる「城門」の跡も発見した可能性があると考えている。

「至聖所」の壁—神の臨在を示す空間
発掘された建物には、内部空間を二つに分ける巨大な壁も存在した。聖書によれば、幕屋の最も奥には「至聖所」と呼ばれる聖なる部屋があり、分厚い垂れ幕で仕切られていたとされる。
この至聖所こそが、契約の箱(アーク)が安置され、神が地上に臨在する場所と信じられていた空間だ。レビ記には、「垂れ幕の内側、箱の上の贖いの座の前に、いつでも入ってきてはならない。彼が死ぬことのないためである」と記されており、その神聖さから、大祭司でさえ年に一度しか入ることが許されなかった。
今回発見された壁は、まさにこの「至聖所」を区切っていたものなのかもしれない。
もちろん、今回発見されたのは「幕屋」の遺跡であり、「契約の箱(アーク)」そのものではない。アークはバビロニアによってエルサレムが陥落する前(紀元前586年)に、歴史の記録から姿を消している。
しかし、聖書の記述が単なる神話ではなく、考古学的な事実に基づいていたことを示す今回の発見は、歴史上最大のミステリーである「失われたアーク」の行方を追い求める上で、極めて重要な一歩となることは間違いないだろう。
参考:Daily Mail Online、ほか
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