この経験から言えることは「最初の手痛い失敗があったからこそ、次の成功につながった」ということだ。

筆者は家探しにおいて、人口流入エリアにおける住居というものはまるで人気スマホのようにポンポン売れる、という感覚が欠けていた。そのため、1軒目は初動の遅れが敗北につながったのだ。しかし、この経験から「人気物件は早いもの勝ち」という市場感覚を得たことで、二回目は失敗を回避し、1軒目よりさらに良い物件を確保するチャンスを掴むことができた。

人生における「運」とは、このように単発の勝ち負けでは判断できない。むしろ、序盤で何回か立て続けに負けてもたった1回の勝ちでトータルで得になることもある。いざ幸運が舞い降りてきた時に絶対逃さないよう、運ゲーという本質を理解して「運を上手に掴む力」を磨くべきだろう。

「運ゲー=努力否定」ではない

ここで重要なのは、「運ゲーだから努力は無意味」という短絡的な結論に飛ばないことである。

たしかに、人生にはどうにもならない偶然がある。人との出会い、仕事のチャンス、あるいは病気などは、その多くが本人のコントロールを超えている。だが一方で、明確に努力で伸ばせる分野もある。たとえば勉強やスキル習得は、ある程度までは完全に「努力ゲー」である。

「いや、それも遺伝子ゲーでは?」という反論もあるだろう。たしかに上限値や習得速度には個人差がある。しかし、正しい方法で継続すれば、過去の自分を超えることは誰にでも可能である。そしてある程度のレベルまでなら、ほとんどの人が年齢に関係なく熟練できる。

英語やパソコンがまったくできなかった人が、正しい手順を踏んで長期で訓練すれば、誰でも仕事で使える実用レベルに到達する。そこに天才的な才能が必要な場面はほとんどない。

必要なのは、正しい努力と、繰り返し試行することである。

運だからこそ、行動を止めない

世の中は「人生は運ゲー」に萎える人が大変多いが、筆者はむしろ、「人生は運ゲー」を大変ポジティブに捉えている。