この傾向は、いわゆる「推し活」においても同様である。SNSで目立つ声援を送る者よりも、地味にグッズを買い、チケットを確保し、会場に足を運び続けるファンのほうが、その活動を継続的に支えていることが多い。

どこにでもいる「口だけ評論家」

これは会社員として働く職場でも似たような光景がある。筆者が業務改革の部署で働いている時に、

「もっとここの改善が必要だ!」 「現場の意見を聞くべきだ!」

と声高に言っていた抵抗勢力の一派がいた。彼らは口ではあれこれ文句をつけるが、代案は一切出さないし実際の改善現場に参画しようと手を挙げる人はまずいない。「今の業務で忙しい」「自分の仕事ではない」と安全地帯から口だけは出すが手を出すことはしない。

その一方で「よければ私、この業務経験あって資料作ってきました。よかったら使ってください」と手を差し伸べてくれる人もいた。こういう人は多くを語らず、実際に手を動かすのだ。

結局のところ、行動こそが誠意の証であり、人間の本音は言葉ではなく行動に表れるのだ。

人間の本音は行動に出る

世の中には「しゃべること」「意見を表明すること」だけで評価を得ようとする人が大変多い。

たとえば震災が支援への対応策、大阪万博に対して文句しか言わない人はSNSで元気よくあるべき論を言うが、彼らのほとんどは実際に現地に行かないし、寄付やグッズ購入を通じた応援などお金を使うこともまずしない。政治を批判しても決して投票にはいかない。

批判しかしないなら、ビール片手に野球選手にやじを飛ばす酔っ払いオヤジと同じである。口先だけなら誰でもなんとでも言える。だが、本当に心から応援したいと思っている人は口ではなく、行動で示す。人の本音は行動に出る。世の中で真に求められるのは評論家ではなく、行動に移す実務家なのだ。

もちろん、「行動しない=誠意がない」とすべてを短絡的に決めつけるつもりはない。経済的な事情、地理的・身体的制約、家庭の事情など、行動に移せない理由は人それぞれである。オフイベントに参加できなくても、応援の気持ちは本物かもしれないし、寄付できなくても心は動いているかもしれない。