・国家イメージ:政府・官僚などエリート主導で全体主義か? 対話と熟議中心の民主主義か?

・社会像:アメリカのような弱肉強食の競争社会か? 欧州のような平等な社会か? 北欧型の高福祉高負担の福祉国家か?再配分をどの程度とするか? 移民をいれない同質的な社会か? 移民をいれた共生社会か?

・行政経営:中央集権か? 地方分権か?

という点で論点は分かれるが、それほどまでに大きな差はない。程度の違いや具体的な方向性や内容の違いで、差があるだけだ。

国家ビジョン・社会像で明確に論点が分かれるのは、共生社会、移民社会かどうか、という点、安全保障の方向性くらいだろう。その意味で、参政党が外国人問題を政策として打ち出し、また日米安保路線に対してのオルタナティブな視点を提案したのは功績と言えよう。

人口減少社会のビジョンがあってもいい

移民社会かどうか、安全保障のやり方とは別に、もう1つ真の論点がある。それは、少子化対策である。

各党も人口減少を止める、少子化対策を掲げているが、ここ何十年失敗しているのだから現実的に見て、相当困難である。少子化対策といっても、婚姻率も高まらないし、結婚意欲も高まらない。子育て環境を整備しても、働き方改革をしても、成果がでない。建前ばかりでいつまで少子化対策を続けるのか、あまりに現実的ではないと考えている。

筆者は「人口減少で何が悪い?:イーロン・マスクが言う日本消滅はない!」(過去記事)で記載したように、どのみち成熟経済のもとでは、他の国も同じ事態を迎えることになる。SDGsを突きつめれば、人間が多すぎるのだ。

資本主義社会は自動増殖的に新たな市場経済が拡大しつづけ、地球の資源を食い尽くす。熊さんが暴れだし、自然は災害に漸弱になり、地球社会での王様である人間の活動を抑制するのが自然ではないだろうか。

人口を増やすことに疑問を呈したうえで、持続的な社会は人口4000万人でも生きれる社会を構築していくというビジョンがあったっていい。この日本列島は、特に江戸時代、人間が自然と共生してきたことを思い返すべきだろう。人口減少で困るのはこれまでの高度成長期の発想でシステムを組み立てている行政機関だけだ。政治家は人口減少を前提にして社会像を提案してもよいだろう。

国家戦略を議論するとき