イスラム教では、「信仰告白」はシャハーダと呼ばれ、「証拠、証言」を意味する。具体的には、イスラムの基本原理「アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イッラッラー。ワ・アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー」(アッラーの他に神なし。ムハンマドはアッラーの使徒なり)という言葉を唱えることを指す。ムスリムは日に5回、この言葉を唱えることが義務となっている。一方、ムスリムが安全保障・宗教上の理由により自らの信仰を第三者から秘匿する行為は「信仰隠し」(タキーヤ)として知られ、特にシーア派少数分派(アラウィー派、ドゥルーズ派など)の信徒が時として実践してきた。(この項、「Kaken」などのイスラム系サイトから引用)

オーストリアのローマ・カトリック教会のシンボル、シュテファン大聖堂

一方、キリスト教の場合、「信仰告白」(Confession)とは、救い主イエス・キリストに対する信仰を公に表明することだ。「信仰告白」は、神に対する忠誠の証であり、キリスト者として自身のアイデンティティを確立する行為だ。例えば、洗礼の際に「イエス・キリストを救い主と信じる」と宣言する。一方、「信仰秘匿」(Concealment of Faith/Religious Secrecy)はキリスト教徒が、迫害や不利益を恐れて、信仰を公にしない、あるいは隠す行為を指す。

「信仰秘匿」の実例を一つ挙げる。「信教の自由」のない北朝鮮のクリスチャンたちの実情だ。国際宣教団体「オープン・ドアーズ」が2015年9月、創設60周年を祝してウィーン工科大学内で記念イベントを開催したが、そこで脱北者の金ヨンソク(Kim Yong Sook)女史の話を聞いた。キリスト信者の金女史の証は壮烈なものがあった。

聖書を持っているだけで拘束され、悪くすれば収容所に送られ、強制労働を強いられる。そこでは生きて帰ることが難しい状況。金女史が幼い時、父親が座って首を垂れている姿をよく目撃した。歳をとれば皆あんな風になるのかと思っていたという。実際は、父親は祈っていたのだ。北では祈ることは許されないから、祈っていることが分からないように祈らなければならないことを知った。金ファミリーがキリスト信者と分かったために、家族は収容所に送られた。刑務所では父親と一度会ったが、その後は会うことが出来なかった。