マスコミなどの報道はコメンテーターや専門家も含め「能登の被災を運が良かった」と理解した人ばかりにコメントを求めており、住民票を取れるようにシステムづくりを頑張った人のコメントは聞こえてこない。
つまり、「能登半島地震が運がいいと言ったのではないことはわかっているが、現場の皆さんが頑張ったことが『運』という稚拙な一言で矮小化されたが問題なのではないか」という形で非難をしているのではないことがマスコミの報道を見ればわかる。
私自身はこの発言をした方がどういう方か知らないが、強いて言えば、能登の話を枕に「地元の頑張りに加え幸いにも・・・」と言えば良かったのかもしれない、とは思う。でも、やはり「運良く能登が被災した」という解釈として報道したいのであろう。
しかも、気になるのは、一部の報道はちゃんと後の発言を伝えているので、まともな人なら発言の趣旨は理解できると思うのだが、実はそうではなっていない、ということである。その理由は、報道を見ると、この後段を聞かせた上でも畳みかけるようにその後で「能登の被災が運が良かった」と幾度も誘導しているからであろう。視聴者に理解力がないと思わないのだが、ここまで切り取った趣旨で非難されると、誤解は定着するものかもしれない。
なんだかなぁ、というのが正直な感想である。マスコミは、参議院選挙前にここまでして、与党の悪印象を持たせようしている、と考えるのは考えすぎだろうか。
ま、私の過去の投稿に対するコメントを見ても「Aではない」と前置きして話をしているのに、Aを前提にコメントされる方も複数おられるので、マスコミによるこういう切り取りの多い繰返しを聞けば、普通の視聴者ならなおさら誤解するのもしかたがないかもしれない。でも、やはり、むりやりそこへ誘導するのはいかがなものだだろう。
選挙のたびにマスコミは、「自分たちマスコミは、ファクトチェックが厳しいうえに公平に報道しないといけない、しかも報道には時間の制約もあるので、SNSに勝てないのだ」という説明をしているが、こうして言葉を切り取って報道することがマスコミの言う「時間の制約もあるので、短くして報道して公平性を保ちました」ということだろうかと思うと悲しくなる。