7月15日は博多が一番盛り上がる「博多祇園山笠祭り」が開催されます。

櫛田神社も祭りモード。

山笠祭りの舞台は櫛田神社。祭りは7月1日に始まり、辻祈祷にはじまり、山笠の飾付けなどを行い、15日に追山笠と称して各山笠の櫛田入りが競われます。山笠祭りはスサノオを祀る祇園祭のひとつであり、京都の祇園祭も同日に行われています。

西流の山笠(やま)

ところで「山笠」とはこのような独特な装飾のなされた神輿のことを指します。神輿を指すときの「山笠」は「やま」と呼び、祭りを指すときには「山笠」は「やまかさ」と呼んで区別されます。

「山笠」には「舁(かき)山笠」と「飾山笠」があり、舁山笠は神輿のように街を練り歩くことができる山笠、飾山笠は装飾に重きを置き、その場で見て楽しむ山笠となっています。

江戸時代末期から明治初期にかけて、山笠の肥大化が進み、各地域が大きく派手な山笠を作っていましたが、明治時代に電気の普及が進む中山笠が電線を切る事故が多発、さらに明治末期になると路面電車が開通して一定の高さの山笠は街を練り歩くことはできなくなり、両者の分化が決定づけられることとなりました。

その後、昭和39年になると櫛田神社に近い上川端通では「走る飾り山笠」が復活して、櫛田神社に山笠が奉納されています。山笠は毎年作られており、その年ごとに各地域が作品を作り出しています。山笠の凄いところは表だけでなく裏もしっかり作りこまれていて、上川端通の表の山笠は勇ましいスサノオがヤマタノオロチを退治した姿を人形で表現しているのですが、

キュートな推しの子。

裏は「推しの子」だったりします。飾山笠は結構自由な表現は認められているようです。

福岡一の歓楽街、中洲のど真ん中にも山笠がいます。

こちらが「中洲流」の山笠。「流(ながれ)」とは豊臣秀吉による区割りに起源をもつ、博多を区割りした地域のことを指し、現在は東、西、千代、土居、恵比寿、中洲、大黒の七つの流れがあってそれぞれに舁山笠を持ち、櫛田神社に奉納を行っています。中州を挟んで西にある天神エリアにも山笠はありますが、天神は福岡であって博多ではないので飾山笠はあっても舁山笠は持っていません。