英国の哲学者フランシス・ベーコン(1561年-1626年)の言に、「沈黙は愚者たちの美徳である」というのがあります。之はベーコン流に少し厳しい表現となっていますが、要するに、余計なことは言わないのが大事だということでしょう。
喋るというのは、相手に良い印象を与える場合と悪い印象を与える場合があります。だからこそ昔から「雄弁は銀、沈黙は金」という西洋の諺があったり、『韓非子』にも「子貢が多言も顔子の一黙には如かず」という言葉があるわけです。
また『老子』にも、「知る者は言わず、言う者は知らず…本当にわかっている人は、喋らない。べらべらと喋る人は、わかってない」とか、「善なる者は弁ぜず、弁ずる者は善ならず…善い行ないをする者は、お喋りではない。お喋りな人はあまり善いことをしない」、あるいは「多言は數々(しばしば)窮す。中(ちゅう)を守るに如かず…饒舌(じょうぜつ)はしばしばゆきづまるものだ。虚心で無言を守るにしくはない」等とあります。
ある中国古典の中には夫々優秀な三兄弟が有名人との面会の機会を得、やがてその時が終わりになる頃に、順番に喋り捲った長男・次男および殆ど何も言わないで終わった三男に対し、「あの三男は中々大した奴だ」といった印象をその有名な人が得たという話もあります。私は嘗て此の「北尾吉孝日記」(22年5月20日)で次のように述べました。
――人間にとって言葉が最大の意思表示の手段になり得るわけですから、我々は不必要な言葉を発さないように熟慮の上で、ものを言わねばなりません。ものを言う時は、自分が思う事柄のみならず相手のこともじっくり考えるようにしたら、自然と言葉は慎むということになって行くものです。私が知る限り、兎に角ぺらぺらと喋る人間に碌なのはいないように思いますし、陰口を叩く人にも大した人物はいないと思っています。
口を開くことで寧ろ軽佻浮薄(けいちょうふはく)だと思われるケースが多々あります。私が今まで数多の人を見てきて思うのは、「多くを話さなかったが信頼に足るような人だなぁ」と感じさせるのが、本当に信頼に足る人だということです。その人は自然に振る舞い、何となく重厚な雰囲気があるものです。そして又その人は自分を厳しく律し、「慎独:しんどく…内心のけがれを除く」の中に、一人静かに戒心するものであります。