歴史の影には、常識では計り知れない力を持った謎の人物が存在する。19世紀の英領インドに、まるで伝説から抜け出してきたかのような男がいた。彼の名はアレクサンダー・マルコム・ジェイコブ。宝石商、英国のスパイ、そして「本物の魔法」を操る魔術師。今回は、歴史の闇に消えたこのミステリアスな人物の驚くべき生涯に迫る。
奴隷から大富豪へ、そして伝説の魔術師へ
ジェイコブの人生は、その始まりからして謎に包まれている。1849年、オスマン帝国領のトルコで生まれたとされるが、その出自はユダヤ人、アルメニア人、あるいはトルコ人と諸説あり、はっきりしない。確かなのは、彼が10歳で奴隷として売られ、裕福なトルコの有力者(パシャ)に引き取られたという数奇な運命だ。
しかし、ここから彼の人生は劇的に転回する。パシャはジェイコブの類稀なる才能を見抜き、奴隷としてではなく、我が子同然に最高の教育を施した。文学、哲学、複数の言語はもちろんのこと、その中には東洋の神秘主義、そして西洋のオカルティズム――すなわち「魔術」の知識まで含まれていたという。
パシャの死後、青年となったジェイコブはインドへ渡る。そこで彼は、宝石と骨董品のディーラーとして驚異的な成功を収め、巨万の富を築き上げた。同時に、大英帝国とロシア帝国が中央アジアの覇権を争った情報戦「グレート・ゲーム」において、英国のスパイとしても暗躍したとされる。奴隷の少年が、わずか十数年で富と権力、そして裏社会のコネクションまで手に入れたのだ。だが、人々が彼に畏怖の念を抱いた本当の理由は、その富や権力ではなかった。

現実を歪める「本物の魔法」の数々
ジェイコブがただの富豪やスパイと一線を画していたのは、彼が衆人の前で平然と「奇跡」を起こして見せたからだ。それは、手品やイリュージョンといった生易しいものではなかったと、当時の記録は伝えている。
** 消失 ** :会話の最中、衆人環視の部屋から忽然と姿を消す。 ** 蘇生 ** :乾ききった一本の杖を地面に突き刺し、わずか10分で青々とした葉を生い茂らせる。 ** 召喚 ** :何もない空間から色とりどりの蝶の群れを呼び出し、意のままに操り、そして再び虚空へと消し去る。 ** 幽霊火 ** :触れても全く熱くない、青白い「幽霊の炎」をその手に灯す。
これらの奇跡は、疑い深い英国人の役人やジャーナリストたちの目の前で何度も行われたという。彼らはジェイコブをペテン師と断定しようと躍起になったが、誰一人としてそのトリックを暴くことはできなかった。