国家の統合には歴史の共有が不可欠だ。その役割を担うのが学校では歴史教育だが、ボスニアでは、教科書も中央政府によって規制されておらず、各機関の責任となっている。そのため、クロアチア人、ボシュニャク人(ボスニア・ムスリム)、セルビア人の生徒は、ボスニア戦争だけでなく、スレブレニツァでの大量虐殺についても、それぞれ異なる物語を教えられている。
国際的な圧力を受けて、2003年に中央慰霊碑(The Srebrenica-Potocari Memorial Center)がスレブレニツァから数キロ離れたポトチャリに開設され、そこには約7,000人の犠牲者が埋葬されている。また、国連総会は、7月11日を「スレブレニツァ虐殺の国際追悼の日」とする決議を採択している。
デイトン和平協定は3民族間の紛争を停止させたが、民族間の和解の道は依然見えず、RSではデイトン和平協定から離脱する動きが出てきている。「ウィーン国際比較経済研究所」(WIIW)の上級エコノミスト、ウラジミール・グリゴロフ氏は、「ボスニアがうまくいかない最大の原因はデイトン和平協定だ」と断言、和平協定がその後の国の発展を妨げる最大の障害となっていると主張していた。
ウォルフガング・ペトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表は2005年、当方とのインタビューで、「ボスニアでは冷たい和平が支配している。ボスニア紛争は内戦だった。外部の侵略を契機に始まり、勝利者と被占領者に分かれる戦争とは異なり、内戦には勝者はなく、敗者しか存在しない」と語り、「冷たい和平」の前途が厳しいことを示唆した。スレブレ二ツァ虐殺から30年の年月が経過したが、残念ながら民族間の「暖かい和平」はまだほど遠い。

スレブレニツァの虐殺 2007年に行われた465人のボシュニャク人の埋葬 Wikipediaより
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年7月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。