一方で、時に排外的な主張(外国人優遇批判など)も含まれ、境界が曖昧です。

参政党が問いかけているのは「社会の分断」でしょう。保守/リベラルという二項では語りきれない、「正規知識に対する信頼」か「生活者の肌感覚」かという対立軸が根底にあります。

専門家がいくら「それは疑似科学だ」と言っても、それを言う側に対する「信頼」が崩れてきている昨今では、むしろ反発を生むだけでしょう。

つまり、参政党の台頭は信頼構造の変化・知識権威の揺らぎの表れと見ることができます。

一方、参政党は「いわゆる陰謀論」との関わりが取り沙汰されています。2020年末ごろ、アメリカ大統領選で「不正選挙」と訴える陰謀論を主張したために、結党時の中心メンバーが離脱したといわれ、代わって反ワクチンとオーガニック信仰とされる人達が入党し「訴求層の入れ替わり」が起こったとされます。

動かぬ証拠と根拠があるのなら、そういう訴えも構いません。ですが世の中には「リトマス試験紙がない、直ちに証明できないけれど切実な意見」というものも、あるにはあります。そういう意見でも、後の世の趨勢で「誰が正しかったのかが証明できそうな分野」を選んでほしいとは思います。

主要メンバーの入れ替わりが起こったことで、今後のこの党の課題が明確化したといえるでしょう。

「政策の現実性」としては、MMTや、教育無償化、自主防衛などの実現可能性と財源の裏付けが社会から求められます。

「科学的根拠と信仰の境界」については、「感覚としてはわかる」主張と「根拠に基づく政治」のバランスを取ることが求められます。「排他性とポピュリズム」については、一部の主張がマイノリティ差別を助長する危険などの克服やすりあわせができるか。このあたりが問われてくると思います。

科学と感情、専門家と庶民、国益と人権──これらのバランスを考えていかなくてはならなくなるでしょう。

特に重要なことは、医療と政治の問題です。命をめぐる判断は、数字や統計だけでは割り切れません。どの命を優先し、どこまで治療を公費で支えるか、どこから先は個人の責任とするのか。科学的合理性と感情的納得、その両方を見据えながら、私たちは「納得できる制度」を探さざるをえなくなっています。