ここ、出津には長崎駅からバスで来たのですが、出津文化村バス停の脇には「長崎スパゲッチー」という看板がありました。「スパゲッチー」という聞きなれない言葉が面白くて写真に撮ったのですが、その奥にはド・ロ神父のこの町の雇用創出のための慈愛に満ちた行動があったのです。
救助院と道路を挟んだ向かいに建つ鰯網工場もド・ロ神父が漁業で生計を立てる出津の人の生活を支え、合わせて雇用も創出した施設です。ここは今ド・ロ神父記念館となりド・ロ神父所縁の品の展示が行われています。

当時の計算機なんかの展示もありましたが…どう使うのかよくわかりません。

至る所で見られる結晶片岩の塀。

130年経っても崩れない頑強なド・ロ壁。
出津集落の塀は長らくこの地でよく産出される結晶片岩とよばれる平べったい石を積み重ねたもので、他の地域には見られない特徴的な塀だったのですが、接合部は赤土に藁くずを混ぜたものだったので風雨にさらされると崩れてしまうのが弱点でした。
ド・ロ神父は壁の改善にも力を入れ、赤土を水に溶かし、これに石灰と砂を混ぜたものを接着剤として使用することで長年にわたって崩れない「ド・ロ壁」を考案して、旧救助院の周辺の壁はド・ロ壁で建設しました。宣教師でありながら土木の才能もあるド・ロ神父。そのマルチな才能をいかんなく発揮して羨ましい限りです。

かつて多くの市民が漁で生計を立てていた外海の海。
出津を愛し、来日後は亡くなるまで一度も帰国することなくこの地での布教活動と生活水準の底上げに尽力されたド・ロ神父。真の人間愛に満ちた彼の功績は亡くなった今もこの地で語り継がれています。
この日は雲の多い天気でしたが晴れた日は夕日が美しい長崎市外海地区。サンセットドライブをかねてふらっと出津に立ち寄っていただき、ド・ロ神父によって救われた集落を訪ね歩いて見てもらいたいと思いました。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年6月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。