公開討論会で野党党首と論戦を交わした石破茂総理だったが・・・自民党HPより

石破総理が「七面倒くさい」と言い放った。日本語と日本の習慣のことを、である。

正確に引用すればこうなる。

「七面倒くさい日本語、日本の習慣を、日本政府の負担によってでも習得してもらい、外国人労働者に入ってもらう」

私は耳を疑った。

「七面倒くさい」——この言葉を聞いて、あなたはどんな場面を思い浮かべるだろうか。役所の煩雑な手続き? 意味のない会議? 少なくとも、価値あるものに対して使う言葉ではないはずだ。

石破総理は知っているのだろうか。世界中で日本語を学ぶ人々が、その美しさに魅了されていることを。季節の移ろいを表す言葉の豊かさ。相手を思いやる敬語の奥深さ。そうした言語の宝物を、「七面倒くさい」と切って捨てた。

もっと腹立たしいのは、その後の理屈だ。外国人労働者にとって日本文化は迷惑なもの。だから申し訳ない。でも来てもらわなければ困る。だから税金で研修費用を出してあげましょう——。

ちょっと待ってほしい。

いつから日本人は、自分たちの文化を押し付ける加害者になったのか。いつから外国人労働者は、日本文化の被害者になったのか。

私の知る限り、日本で働く外国人の多くは、この国の文化に敬意を払い、言葉を学び、地域社会に溶け込もうと努力している。彼らは被害者ではない。共に生きる仲間だ。

それを総理大臣が、まるで植民地の総督のような物言いで「かわいそうだから金を出してやる」と言う。しかもその金は、文化を「七面倒くさい」と侮辱された日本国民から巻き上げた税金だ。

笑えない冗談である。

私は20年以上、言葉と向き合ってきた。伝わる文章とは何か、心に響く表現とは何か、日々悩みながら書いている。その経験から言わせてもらえば、「七面倒くさい」という言葉選びひとつに、その人の世界観が現れる。

石破総理の世界観とは何か。それは日本文化を恥じ、外国に媚び、国民を馬鹿にする世界観だ。