科学者たちは長年、宇宙の終焉について様々な仮説を立ててきた。ビッグクランチ、熱的死、真空崩壊──いずれも壮大で、にわかには信じがたい話ではあるが、今回紹介するのは、特に恐ろしく突飛な終末シナリオだ。
それは「偽の真空崩壊(false vacuum decay)」と呼ばれる理論である。この仮説によれば、宇宙は“安定しているように見えて、実は不安定な状態にある”とされており、もしある瞬間に「本当の安定状態(真の真空)」に遷移したなら、そこから膨張する“エネルギーの泡”によって、あらゆる存在が一瞬で破壊されるというのだ。
偽の真空とは何か?──安定しているようでしていない宇宙
すべての物質やエネルギーには「エネルギー状態」がある。例えば石炭は高エネルギー状態であり、燃え尽きた灰は低エネルギー状態、つまり安定している。
物理学ではこの“最も安定した状態”を「真空状態」と呼ぶ。しかし、ときに物質やエネルギーは、その状態になりきれず「偽の真空(false vacuum)」という中途半端な安定状態にとどまってしまうことがある。
ある科学者はこの状況を「テーブルの上に立てられたドミノ」に例えている。何もなければ倒れないが、わずかなきっかけで全てが連鎖的に崩れ落ちる。つまり、今の宇宙も一種のドミノ状態にあるのだ。
そして、この不安定な構造の中心にあるのが、物質に質量を与える「ヒッグス場」である。
ヒッグス場と宇宙の終焉
量子場理論によれば、電子やクォーク、光子といった粒子は、実際には場(フィールド)に生じた“波”のような存在である。
この場の中でも、ヒッグス場は特別な意味を持つ。ヒッグス場がなければ、粒子は質量を持たず、宇宙の構造自体が成立しないからだ。
しかし最近の理論では、このヒッグス場も“偽の真空”にある可能性が示唆されている。つまり、いま私たちが生きているこの宇宙そのものが、崩壊寸前の「仮の安定」に過ぎないというわけだ。
この場が“本物の安定状態”に遷移すると、大量のエネルギーが解放され、そのエネルギーがさらに連鎖反応を起こして、宇宙全体に広がる。
その結果、膨張する「真の真空の泡」が球状に宇宙を飲み込み、触れたものすべてを破壊してしまう。
一瞬で世界が終わる?──回避不能な「光速の死」
この泡の縁には、光速で広がる「エネルギーの壁」が生じるとされる。壁の運動エネルギーは凄まじく、太陽系のような巨大な天体でさえも一瞬で粉砕されてしまう。
しかもこの壁は光と同じ速さで迫ってくるため、人類が気づいたときにはすでに遅く、予兆も逃げ道もない。まさに“予告なき終末”である。
さらに恐ろしいのは、この破壊のあとに残る“新しい宇宙”の性質である。物理法則が一変し、電子やクォークといった基本粒子の性質そのものが変化してしまうという。
つまり、我々が知っている科学や化学、そして生命のすべてが成立しない世界が出現するのだ。
