その結果、イスラエルの政府・軍部と国民はほとんど自腹を切らずに、アメリカ国民の血税によって、パレスチナ人の土地や財産を奪い、米国製の最先端の兵器で戦争を仕掛け、多くの犠牲者を出しつづけているのです。

1970年代半ばから2000ゼロ年代も、最後の10年間に2つのバブル崩壊が集中した以外は比較的平穏な時代でした。

その中で目立つのが、ジェラルド・フォード、ジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)、ジミー・カーターと、2期目の大統領選に負けた現職大統領が3人もいたという事実です。

このうち、フォードは、ウォーターゲート事件で任期半ばの辞任に追いこまれたリチャード・ニクソンの副大統領だったから大統領に昇格した人で、大統領選に勝った経験はなかったのですが、カーターとブッシュは自力で1期目の大統領選に勝ったのに、2期目で負けたのです。

大統領任期4年、最高でも2期までという慣行が1951年に正規の法律に格上げされてからは、自力で1期目の大統領選に勝った大統領はほぼ確実に2期目も当選することが多くなっていたので、これはかなり異例のことでした。

ふたりとも企業経営をしていた経歴があります。そして、カーターの場合には宗教的信念に関する問題で、ブッシュの場合には「レーガンのようなポピュリストではなく保守本流だ」という意識において、ほとんど妥協のない「独断専行」の人でした。

ゆったりとして柔らかな口調と穏やかな性格がもてはやされていたカーターの人気が一気に失墜したのは、テヘランのアメリカ大使館に学生運動のリーダーたちが乱入、占拠して大使館員40名余りを1年以上にわたって人質として拘束していた時期の無為無策のためだったと言われます。

ただ、そのはた目には無為無策だった長期にわたる人質事件への対応も「抜本的な打開策にはならなくても、何かしら努力をしているように見せるための対策を取るべきだ」という周囲の助言に対するカーター本人の拒絶反応が強かったそうなので、信念に殉じた2期目の敗北だったと言えるでしょう。