さらに、郊外に犬が買える一戸建て、結婚、子持ちの割合も昭和時代から大きく変化した。今やこのようなライフスタイルはまったく「普通」ではなくなりつつある。起点となる結婚が成立しなければ、後続の子持ちや郊外に持ち家も実現しない。

「なぜ普通すら手に入らないのか?」と思い悩むのは論理的に間違っている。「普通と思っていたものがまったく普通の難易度ではないので、簡単に手に入らなくてもなんら不思議ではない」というのが正確な解釈だ。

SNSの影響と認知の歪み

筆者は大衆の「普通」という感覚を狂わせた一因に「SNS」があると思っている。

SNSでは極端な成功例や誇張された情報が拡散されやすく、一般ユーザーはそれを現実と誤認してしまう。例えば、高級車や豪邸を背景にしたインフルエンサーの投稿を見て、「これが普通」と錯覚する人が増えてしまえば、相対比較でそれを持たない自分が不幸という誤った感覚が植え付けられる。

だが、国税庁や総務省のデータが示すように、こうした生活は統計的なハズレ値であり、嘘も混じる話をベンチマークにするべきではない。

人生には意思決定の場面が数多く存在する。キャリア選択、住宅購入、パートナー選びなど、大きな決断だ。こうした意思決定をする際、主観的な「普通」に頼ると不幸になる。例えば、「30歳までに持ち家が普通」と考えて無理なローンを組むと、経済的な破綻を招く可能性がある。

自分が客観的だと思っている「普通」が実は極めて主観的で、存在しない幻想に基づいていると考えた方がいい。この幻想を基準にすると、不幸への道を進むことになるからだ。「普通」という言葉が出た時点で、一度「中央値」で検索してみることで自己診断、治療することが可能だ。

現代社会では、SNSが理想を現実とし、現実を妥協とみなすおかしな世界が広がりつつある。この認知の歪みが起きると、家族や信頼できる人からの指摘がない限り、自分でそれを正すのは極めて困難となる。常に自分の感覚を疑うクセを付けることが寛容だろう。