この環境との接触によって、粒子が持っていた「複数の状態を同時に取る」という性質は急速に失われてしまいます。
実際には、粒子の状態を示す情報が粒子自身だけでなく環境のさまざまな要素にも拡散し、「ここにいる」や「あそこにいる」という安定した状態だけが環境に大量に記録されるようになります。
仕組みをもう少し詳しく見ると、粒子が光子や空気の分子などと相互作用すると、その粒子の状態情報が環境側へも移ります。
環境の各要素もさらに別の環境と接触し、情報を連鎖的にコピーしていきます。
こうして最初に粒子が持っていた情報は環境から環境へと伝わり、広く分散してしまいます。
結果として量子世界にあった本来の重ね合わせ情報は、水滴が海に落ちて広がるように環境へ溶け込み、私たちには「消えてしまった」ように見えるのです。
ただし環境に溶け込んだ情報がすべて等しくコピーされるわけではありません。
実際には環境と安定に相互作用できる、いわば「壊れにくい状態」だけが大量にコピーされて広まります。
ズーレック氏はこの安定した状態を「ポインター状態(pointer state)」と名付けました。
ポインター状態は環境との相互作用でほとんど崩れないため、環境中に無数のコピーを作ることができます。
まさに環境が選び出した「生き残り」の状態と言えるでしょう。
一方、環境に弱く不安定な量子状態は相互作用によってすぐに破壊され、情報のコピーもほとんど残りません。
つまり環境が「ふるい」にかけることで、安定なポインター状態だけが大量に環境中へコピーされていくのです。
この情報コピーは非常に短い時間で劇的に進みます。
たとえばズーレック氏らが検討した「量子ブラウン運動モデル」では、一つの粒子の情報が環境内の無数の粒子に瞬時にコピーされる様子が計算されました。
その時間は驚くほど短く、空気中の微小な塵の粒が重ね合わせ状態になったとしても、およそ10⁻³¹秒(1秒の10の31乗分の1)で重ね合わせが破壊されると見積もられています。