ユダヤ民族のイスラエルとイスラム教シーア派のイラン間の戦争の背後にも宗教的対立がある。ネタニヤフ首相は「イスラム国家のイランに核兵器を絶対に保有させない」と表明してきた。すなわち、イランがイスラム国家だという事実がネタニヤフ氏の「イラン拒否」の大きな理由となっているのだ。

ところで、北朝鮮は核兵器を製造したが、なぜ極東アジアの小国・北朝鮮が中東の大国イランより核兵器を早く保有できたのだろうか。その答えの一つは、北の核開発問題では周辺諸国で政治的、戦略的な対立はあったが、宗教的な対立問題は全くなかったからだ。

ちなみに、神学者ヤン・アスマン教授は、「「唯一の神への信仰(Monotheismus)には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとするのだ」と説明している。

そこで提案だ。紛争解決のために政治家や外交官が交渉テーブルについて話し合うことは当然だが、中東問題ではやはり宗教指導者の関与が不可欠となる。宗派間の和解がない限り、実効性のある合意は実現できないからだ。

宗教指導者には、紛争や戦争が眼前で展開されている時、それを止めさせる使命がある。特に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「信仰の祖」アブラハムから派生した宗教だ。換言すれば、同じアブラハム家出身の兄弟といえる。兄弟同士が残虐な武器を持って互いに殺し合う戦争は本来、あってはならないのだ。

イランが2015年7月、国連安保理常任理事国の米英仏露中にドイツを加えた6カ国と核合意を実現し、包括的共同作業計画(JCPOA)が明らかになった時、イスラエル側はその核合意に強く反発し、軍事力による核関連施設の破壊を計画し出した。イスラエルにはイスラム教国のイランに強い不信があるからだ。

このコラム欄で「民衆は獅子のように立ち上がる」(2025年6月14日)を書いた。ネタニヤフ首相はイラン攻撃の前日(6月12日)、ユダヤ教の最も神聖な礼拝所、エルサレムの旧市街にある聖地「嘆きの壁」を巡礼している。国難に直面し、ネタニヤフ氏は自身のユダヤ民族のルーツに戻り、ヘブライ語聖書の世界に引き寄せられたのではないか。