「ではあなた自身の評価はどうか?」と問われると「自分は相手を批判するすべての項目をきちんとできている」、という人は多くないのではないだろうか。

批判すれば、相手から自分も批判されることを想定してからが良いだろう。そうでなければ強烈なカウンターをもらうだけで、不毛な言い争いに終止することが運命づけられている。

評価される側を目指すことの価値

人間は「評価される側よりも、評価する側のほうが立場が上」と感じる傾向がある。一流のメジャーリーガーに対して「下手くそ!ひっこめ!」と酒を片手にやじを飛ばす酔っ払いを連想してもらえばわかるだろう。

むしろ理想的には、自分が評価される側として力を発揮することを目指すべきではないだろうか。

評価される側とは、たとえば動画の視聴者ではなくYouTuber、映画の観客ではなく映画監督のような立ち位置だ。

寄せられる意見を反映し、より良い次の作品にいかせる。一方で不満を出す側はなんのメリットもない。相手を利するだけで自分は批判することに時間とエネルギーを使うが、相手の成長に貢献するだけで自分の人生は1ミリも前進しないのだ。

評価する側は成長できない

さらに、「評価する側でいたい」という意識が強くなると、自分自身が他者からどのように評価されているかに無頓着になりがちだ。

現代は、職場も人間関係も、基本的には相対評価で成り立っている。会社に対して「イケてない」と評価する一方で、会社から「イケてないビジネスマン」と評価される可能性がある。婚活で「この人は魅力がない」と言う人も相手から「この人は魅力がない」と評価される可能性があるということだ。

相手を評価する立場は気持ちが楽で上にたった感覚になるが、実際には相手から見た自分の評価を見なくなり、自己研鑽を忘れてしまい、ドンドン後退する一方なのである。相手を批評する前に、「自分はこの会社で評価に値する成果を出せているか?」という問いを、自問自答する方が健全だろう。