いま日本の老人医療で起こっているのも、9割引という異常な安値による過剰消費である。これを生んだのは田中角栄のポピュリズムだったが、それを30年間も是正しなかったため、過剰投資が慢性化した。

「目に見えぬ独裁者」が破綻したシステムを延命する

社会主義の歴史から学べるもう一つの教訓は、計画経済は政治化するということである。国営企業がつぶれるかつぶれないかを決めるのはモノバンクの官僚なので、企業にとっては生産の効率化よりロビー活動が死命を制する。

曖昧な予算制約のもとではネズミ講は無限に続けることができ、既存の借金が既得権になるので、後戻りできない。このような非効率性は、短期的には見えにくい。個々の企業を救済することは、そのときだけみれば事後的にはパレート最適になるからだ。

日本の社会保障も、今は厚生年金積立金や健保組合の保険料を流用して延命しているが、そのうち流用する資金もなくなる。1000万人を超える労働人口が医療・介護の非生産的な労働に動員され、経済はますます衰退する。

この破綻したシステムを延命するのは、かつてはスターリンのような独裁者だったが、今は2000万人の後期高齢者である。彼らは選挙で絶対多数を握り、与野党を沈黙させる。それに刃向かう政党は報復を受けるので、目先の給付金や減税しか公約できない。

社会保障改革を公約していた国民民主党も減税ポピュリズムに走り、残るのは維新だけだ。それはソ連の地下活動家を思わせる孤独な闘いである。ソルジェニーツィンが『収容所群島』を書いたのは1972年だったが、そこからソ連が崩壊するまでには20年かかったのだ。